<テレビ界はもう衰退しかない?>「テレビが好き」という人を受け入れるシステムの再構築が急務

社会・メディア

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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今は「現実感」が人一倍大事になっている時代なのかもしれない。ある意味当たり前といえるかもしれないが、ちょっと考えると疑問もわいてくる。最近の「現実感」とは達成可能なものが第一ということの意味らしいからだ。
テレビ屋の仕事はこの達成可能なこととの大げさに言えば戦いの日々だったともいえる。

「達成できそうもないことをやるのがテレビではないのか」

という無謀なことをいつも強いられてきたような気がするからだ。正攻法では出来ないことはわき道を探す。自分で出来ないことはひたすら出来る人を探す。それでも出来なければ近そうなものを探す、など健気な努力をすることだったかと思う。
「やらせ」や「嘘」は避ける。こちらの方が危ないからだ。これが「現実感」だった。
かつて「面白そうだ」という好奇心で、テレビの業界に入ってきた人がたくさんいた。こう言うと好奇心だけで仕事がやれた恵まれた時代と思う人が多いようだ。ということは、今はできないということを言いたいのだろう。
確かに、かつて「派遣法」などというものも無かった。制度的にテレビ界は確立されていなかった。第一に番組を作れる人も足りなかった。それだけテレビ業界に紛れ込む人がたくさんいた。古きよき時代、ということだろう。
今、「現実感」ということであれば、幸運な数少ないテレビ局への就職以外はいくら好奇心があっても、この業界に入ることは出来ないということになる。いやな時代だ。その少数の中に本当に優秀な人ばかりいれば良いが、そう期待は持てない。
これから仕事を選ぶ人にとっても、最初から門戸を閉ざされてしまっては、まるで魅力の無い業界になってしまう。今は古きよき時代ではないのだから。
では、かつて「古きよき時代」がテレビ業界にあったとすれば、今はどこにあるのか。ネット業界か? ここにものづくりを目指す人が集まっているのだろうか。
たとえば出版業界で、編集者が作家に転じることは昔から多かった。だが編集者のみがものを書いていたら、その業界が細ることはすぐ分かる。いかにいろいろな人が入ってくるかが、魅力的な出版をする肝である。小説家で成功している人は編集者上がりではない人のほうが多いのではないか。
テレビ業界も同じだ。面白そうだという人が入ってこなければ業界は細る。
もうひとつ問題がある。面白そうだという人を終身雇用するか、だ。就職するのは絵空事ではない。確かにそうだ。だがこれはかつても同じだったのだ。1年や2年、あるいは10年や20年、テレビ業界で飯を食った人はものすごい数いるだろう。結局、残った人より離れて言った人のほうが多い。
要は面白そうだというという好奇心がどれだけ強いかだ。生き残った人がいる業界は健全だ。ある比率で仕事を移りたいと思う人はいつでもどこでもいるものだし、それで活きる人もいる。
今、テレビ業界はこの健全さを失おうとしている。そして、就職しようとする人は「面白そうだ」という好奇心を失おうとしている。好奇心はある意味冷酷であるといわざるをえない。保証などなくても向かおうとする人を作るのだから。
かつて好奇心に任せてテレビ業界に入ってきた人がたくさんいた。電気屋さんで蛍光灯の電球の交換に何度も来るうちに「この仕事は面白そうだ」と入ってきた人もいた。
そのうち作家集団に紛れ込んでいった。この人を面白いと思った人がいたからだ。人と仲良くなる天才だった。話しているといつの間にか心を許すことになる。あちこちに知り合いを作っていった。彼はやがて今も続く長寿番組の立ち上げに参加した。
テレビ業界に途中参加だった彼はその能力を十分に発揮したとはいえないかもしれない。だが、その好奇心は十分に活かした作家だったような気がする。実に多くの番組に入り込み、人間関係を築いて行った。
「現実感」とは達成できないことを避けることを言うのではないだろう。やりたいことの達成方法を探ることを言うのだろう。面白いとおもう人がいなくなると業界は細る。
 
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