<テレビ業界の不思議なコンプライアンス>看護婦とスチュワーデスはダメで「女性キャスター」ならOK?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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そのナレーションは「変だ」と思った。
TBS「Nスタ News-i」(2015年9月11放送回)でのことである。この時間帯、筆者はだいたいTBSかNHKを見ているので、番組ファンの苦言だと思ってあげつらうことをお許し願いたい。
ナレーションが、
「女性キャスターが見た水害の様子をまとめた」
と言っていた。確かにリポートしていたのは加藤シルビアアナウンサーと小林悠アナウンサーのハーフ美女2人だったから、ナレーションが言っていることは事実である。
しかし、ここで「女性キャスターが見た水害」とくくることの必要性がどこにあるのだろう。「女性キャスターが見た水害」というのは完全に男目線のナレーションで、この時間帯のメイン視聴者である女性は強い反感を感じるのではないか。
ひねくれた見方をすることの多い放送作家である筆者としては、
「ああ、これは、危険な水害取材をか弱い女性がやっているんだ、と言うことをことさら強調して視聴率を上げようという作戦か」
などと邪推してしまう。昨今、テレビ局ではコンプライアンス(社会的規範や企業倫理・モラルを守ること)ということがやかましく言われる。男女同権の世の中でたとえば、こんな言い換えは当たり前になった。看護婦は看護師、スチュワーデスはキャビン・アテンダントである。
筆者は長くテレビ業界にいるが、女性看護師を看護婦と呼んでも良いと思うし、女性キャビン・アテンダントはスチュワーデスと呼んでもよいと思う。しかし、当該女性で女性形で呼ばれると不快に感じ人がいるので、使ってはいけないのだそうである。なんたることか。
その一方で「女優」は連発、コメディアンも連発。厳密にするなら女優はダメで俳優にして、コメディエンヌと使い分ける必要が出てくるはずだ。
そもそも、コンプライアンスにびびりすぎると番組はつまらなくなるのであるから、ほどほどにした方が良い。銀行強盗役の男が逃げて車を奪ったときにシートベルトを締めてから、右見て左見て走り出すドラマなど見たくない。そういうコンプライアンス守りすぎのコントならできるが、そのコントを書いても、今度はテレビ局がやらせてくれないだろう。
さて、「女性キャスターが見た水害」の話である。
これは筆者の嫌いなコンプライアンス的に考えて看護婦よりも、スチュワーデスよりも不適切ではないのか。もし、筆者がナレーションを書くことになったら絶対に使わない言葉だ。
視聴率を上げるには、積極的視聴者を増やすという方法もあるが、もうひとつ消極的視聴者を増やすと言う方法がある。それは視聴者が見ていて嫌だと感じるであろうことを、ていねいに削って、なくしていく方法である。
VTRに出た食べ物は無条件でスタジオに出してキャスターに食べさせるとか、意味のないスタジオワイプ抜きとか、凡庸な受けコメントとか、そういうことを一つ一つ潰していくのである。そのひとつには、もちろん「女性キャスターが見た水害」というナレーションも含まれる。
視聴率を「あと1.5%上げたい」ときにはこの方法は効果がある。
 
 
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