THE MANZAI 2017「ウーマンラッシュアワー」時事風刺ネタの賛否

テレビ

高橋維新[弁護士/コラムニスト]
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2017年12月17日に放映されたフジテレビ「THE MANZAI 2017」でウーマンラッシュアワーが披露した漫才がネットで評判になっているようです。
ネタのフォーマットは、彼らが得意とするハイスピードなしゃべくりでした。話題になっているのはその内容で、原発・沖縄の米軍基地・被災地の仮設住宅・北朝鮮など今の日本が抱える諸問題を取り扱っていました。
このネタを政治諷刺と評する向きもあります。確かに彼らの漫才は、これらの諸問題が現在も解決されぬままになっていることを指摘しているという意味では、現政権の腰の重さを批判するものであります。ただこのネタの眼目は、むしろこれらの諸問題に無意識の自国民を批判し、そのような自国民に合わせて有名人の不倫報道ばかり取り扱うジャーナリズムを批判することにあったと思います。
とはいえ、ジャーナリズムも「第四の権力」と言われているような存在であって公権力とは相通じる部分があります。また、これらの諸問題に無関心な国民は裏から現政権を支持しているとも言えるので、ひっくるめて政権に近い存在を論難しているネタだったという見方もできると思います。
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自国民批判というのは漫才を見てくれているお客さんを批判することそのものであり、本来「客」という受け手をいい気持ちにさせる必要があるエンターテインメントではやってはいけないことです。これを見て自分が非難されていると感じ、不快に思った視聴者(そして、おそらくはこの漫才に喝采を送る視聴者よりその絶対数は多いと思います)が反発してくることは覚悟しなければなりません。
テレビで漫才をやっているにもかかわらず報道機関の一つであるテレビを批判するのも度胸の要ることでしょう。ただこれらの点に関してはそういった難点をあることを分かったうえで村本が言いたいことを言うのを優先したということだと思うので、その決意それ自体に賛意を評してこれ以上のことは言いません。
しかし、「ネタがおもしろくなかった」ことは問題だと思います。
スタジオで観覧しているお客さんもウーマンラッシュアワーの早口の掛け合いが決まるたびに拍手を送ってはいましたが、笑ってはいませんでした。三遊亭円楽が笑点で見せる政治批判の回答と一緒で、感心を呼び起こすものではあっても、笑える内容ではなかったということです。
今後同じようなネタを作る場合、もう少し笑える内容にすることを意識して欲しいですが、ここを目指すと立ちはだかる高い壁がひとつあると筆者は思っています。
政治諷刺というやり口は、「王道」に過ぎるのです。
諷刺を受ける政権は、国内における「主流派」であって、アメリカのスクールカーストにおけるジョックのような存在だと見ることができます。政治諷刺の主体は、ここから一段階斜に構えたポジションで主流派をシニカルに皮肉る人たちです。
ただ、筆者みたいな天邪鬼は、「主流派の批判」などという笑いのやり口は、下ネタと一緒で誰にでも思いつく陳腐なものだと感じてしまいます。現に、公権力に対する諷刺は大昔から存在する表現であります。読者の皆様方も、江戸幕府を皮肉る狂歌や川柳を勉強したことがあるでしょう。
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政治諷刺の対象となる「主流派」は、「主流派」である以上日常生活で常に目立つ存在です。それを題材にして笑いを作るというのはセンスが乏しい人にも容易に思いつけることであって、笑いのプロにはもっと一般人が目を付けなさそうなところに目を付けて欲しいのです。政治諷刺をする人たちを視界の隅に捉えながら更にもう一段階も二段階も斜に構えて、彼らを「笑いが古くて陳腐」などと言って更に諷刺して欲しいのです。筆者は、笑いに一家言ある人は、そうやって他との違いを出していきたい中二病気質な人たちだと信じています。
かく言う筆者自身も、政権批判という笑いの呼び起こし方は陳腐でおもしろくないのではないかと思っているので、敬遠してしまいます。茂木健一郎は、日本においてはアメリカのような政治諷刺が見られないと言っていました。しかし、これは逆ではないだろうかというのが筆者の仮説です。政治諷刺は一段レベルの低い笑いであって、日本はとっくにそこを通り過ぎたのではないだろうか、ひょっとしたらアメリカよりレベルの高いことをやっているのではないだろうか、ということです。
これだってまだ筆者の印象論に過ぎず、確たる根拠があるわけではありません。政治諷刺とそれ以外の笑いにも優劣なんてつけられず、どっちがおもしろいのかなんてのは好みの問題に過ぎないかもしれません。
だからこそ、村本には是非とも今回の漫才の芸風を磨いていって、本当に笑える政治諷刺を見せてほしいと思っています。政治諷刺が下ネタと一緒で誰にでも思いつける陳腐なものだとしたら、漫然とやるだけでは笑いを呼び起こせないはずです。そこには、何かしらの一工夫が必要だと思うのです。

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