島田紳助の才能と長谷川公彦の現在
高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]
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DVD『紳竜の研究』(2007)には、2007年3月NSC(吉本総合芸能学院)で、ただ1回だけ開催された島田紳助の特別授業が収録されている。年代から判断すると、サボってさえいなければNSC30期の尼神インター、バンビーノらが生でこの講義を聞いているはずである。彼らは得がたい体験をした。筆者もその場に居たかったという思いが強くする。2時間弱、一気に見た。
この特別授業を自己啓発のようだと言う人もいる。そのとおりだろう。島田紳助は今の時代なら、妖しげな情報商材を日本一売り上げるセミナー講師になる能力さえ持っているだろうから。
筆者は昭和30年(1955)生まれだから、島田紳助や明石家さんまと同年代である。学年にすると筆者は彼らの1年上。紳助、さんまは、どうして知っていたのだろう、筆者を「さん付け」で呼んでくれた。あちらは、売り出しの若手人気芸人、こちらはなったばかりのチンピラ放送作家。天と地の開きのある立場だったのに。芸人世界の礼儀作法の中に筆者を入れてくれたのはありがたかった。
島田紳助DVDの特別授業のことを話そう。
紳助さんは「計画」の人だった。今で言ったらブランディングとでも言うべきか。ノートに年代ごとの自分のかなえるべき目標を記し、一歩一歩、実現いくのが道だと言っていた。紳助さんは仮想敵を定めていた。マンザイをはじめた頃はB&Bの島田洋七。特別授業で話していたが、紳助竜介(後に、竜助)は、島田洋七のスタイルをパクったのだそうだ。ただし違っていたのは「ネタが洋七さんの方が面白かったこと」だと言うが、これは気を遣ったのだろう。筆者から見たら「ネタは紳助さんの方が面白かった」
紳助さんは昭和・平成・令和の芸人の中では、ネタの中味が最もおもしろい人の一人である。匹敵するのは松本人志くらいか。さんまさんは、ネタの受け(フォロー)が日本で一番上手な芸人である。他人のつまらない話を拾って面白く変えるし、他人のネタを盗って自分のネタにしてしまう。それでいて嫌われない。資質が全くちがうからこそ、さんま紳助の二人は並び立ったのである。
ところが、二人は全くと言っていいほど共演しなかった。紳助さんは熱心に口説けば、受けてくれそうななそぶりだったが、さんまさんはとりつく島もない感じ。さんまさんの方が紳助さんのトーク力の高さを怖がっているように当時の筆者には感じられた。
ビートたけしも、もちろん仮想敵であった。特別授業では、ツービート、B&B、紳助竜介はすべて、同じパターンのマンザイであったと語る。考えてみれば、相方を従えてはいるが、スタイルは皆、アメリカ流のスタンダップコメディで、今のウーマンラッシュアワーも同じ。それに気づく暇もない程のマンザイブームだったのである。
マンザイブームが終わって、島田紳助は盟友の吉本社員・谷良一氏とともに『M-1グランプリ』を立ち上げ、自ら審査員となった。「プロデューサー・島田紳助」の誕生である。特別授業では『M-1』での勝ち方も語られるが、そのブランディングをそのまま真似られる人は相当少ないだろう。
プロデューサー島田紳助としては、彼が深く関心を抱いた番組『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)のことを話してみたい。
紳助さんは石坂浩二さんとともに司会をしていたが、この二人、微妙に似たところがある。筆者は幸運にも別々の番組で二人とも知己を得た。石坂さんは、多くの人が知る料理自慢で、遊びに行った時は「鰻ざく」「う巻き」をはじめ、鰻料理の数々を手ずから腕を振るってごちそうしてくれた。筆者たちは客人はリビングで寛いでいるが、石坂さんは一心に料理を造っていて、こちらには出来た物を運んでくるだけである。
紳助さんのお宅にお邪魔したときは、会席料理のコースをつくってくれた。お吸い物・お刺身と続き、焼き物に季節の鮎の塩焼きが出たときは度肝を抜かれてしまった。紳助さんも調理場に行ったきりである。ふたりとも自分が楽しむより、人を楽しませるのが好きなのだ。
特別授業で話していたように、紳助さんはあるテクニックを使って、膨大な知識を持っているように、自分を演出する特技を持っている。一方の石坂さんは、知らないと答えるのを恥だと考える知識の大家だ。その二人が、ある種、知識が活躍する『開運!なんでも鑑定団』で並び立つのか。二人の不協和音も聞こえてきた。
そんな時期に、筆者は『開運!なんでも鑑定団』のスタジオに行ったことがある。紳助さんに、ある芸能人と組んで司会をやって欲しかったのだがマネジャーはNGだと言う。それを本人に直談判して納得してもらおうと思ったのである。今から考えれば無理筋であった。何しろ、紳助さんにはブランディングがきちんとあるのだ。筆者はマネジャーに「紳助さん本人がNGだと言っているなら、はっきり言ってくれ」と抗議したが、「吉本のマネジャーの言うことは、本人が言っていることです」と答えたので、筆者はこのマネジャーを以後深く信じることにした。
そして、島田紳助は引退して、長谷川公彦になった。
筆者は、今、この長谷川公彦に猛烈に興味がある。話が聞きたい、話をしてもらいたい。もし、2時間時が取れたら、どうぞ自由に、話してほしい。ただし、聴き手は明石家さんまで、である。
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