[江川達也]<2020年の東京オリンピックは中止しよう>かつて日本が自ら辞退した「幻の東京オリンピック」があった

社会・メディア

江川達也[漫画家]
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2020年の東京オリンピックは中止しよう。
戦前の昭和15年(1940)の「幻の東京オリンピック」は、日本から辞退した。アホな学校では「日中戦争が国際的批判を受けて中止となった。」と生徒に教える先生がいるが、国際的批判もあまりなく、日本から辞退したのが事実らしい。
なぜ辞退したか。というと、「鉄不足」だったからのようだ。鉄がないと競技場も作れない。
そう、支那事変(日中戦争)が長引き、そこに鉄が必要となり、オリンピックどころじゃなかった。という話だ。支那事変でメインで戦っている陸軍だけじゃなく、海軍もかなりの軍備増強を進めていたからみんなで鉄が必要だった。
疑似戦争のオリンピックで戦意高揚より、現実の戦争の方が重要だった。昭和6年(1931)から始まる満州事変までの戦いには、アジア防衛の意味があった。ソ連の南下を防ぐためには、満州国の建設は必要だったし、国民党の蒋介石もそれに同意していた。
昭和8年(1933)に塘沽(タンクー)平和協定で満州事変に関しては、日本と蒋介石中国政権とは、きちんとした終結をみた。その後、昭和12(1937)年に支那事変(日中戦争)が始まる。中国国民党の蒋介石がドイツ顧問団に騙される年だ。
昭和11年(1936)がベルリンオリンピック。ドイツの政権をとっているナチスドイツのヒトラーは日本を味方に引き入れて仇敵であるソ連を挟み撃ちにする戦略をたてていたが、配下のドイツ陸軍は、中国国民党の蒋介石を支援して日本に攻撃を仕掛けようとしていた。
ドイツは政権と軍が逆の方向を向いていた。ベルリンオリンピックの次が東京オリンピックになったのはドイツのヒトラーのおかげであり、支那事変(日中戦争)が始まり長引いたのがドイツの陸軍のおかげだ。
蒋介石中国国民党はドイツ陸軍に騙されて、周到なる準備のもと日本に徹底的な攻撃を仕掛けて来た。日本がどんなに和平工作をしても執拗な攻撃を繰り返した。日本としては、蒋介石中国国民党の背後で戦争を焚き付けているドイツ陸軍を撤退させるためにドイツ政府に接近し和平工作をすすめた。
ドイツとの軍事同盟は支那事変(日中戦争)を止める為の平和のための工作が起点となっているという皮肉な関係なのである。ただ、日本にも、蒋介石中国国民党とすぐに和平を結ぼうとする勢力と中国国民党と戦い屈服させて和平を結ぼうとする勢力とがあり、拮抗していたという状況があった。
石原莞爾は戦争拡大反対即時和平。だったが、杉山元、武藤章等は、「支那(中国)一撃論」を展開していた。石原莞爾を突き上げていた武藤章は後に対米戦争には反対し石原莞爾と同じ立場になってしまう皮肉な展開がある。
悲しいかな、首相の近衛文麿は、「支那(中国)一撃論」の方に乗っかってしまう。結果、支那事変(日中戦争)は、長引き、東京オリンピックは辞退し、ドイツとの軍事同盟は加速し、ドイツの後ろ盾がなくなった蒋介石中国国民党の背後からドイツ陸軍軍事顧問団が去った後には、ちょっとの空白の後にアメリカの支援が入り、日本がアメリカに戦争を仕掛けるようにアメリカが日本に圧力をかけてくるのである。
日本と接近したいためにドイツ政府がわざとドイツ陸軍を使って日本を蒋介石中国国民党軍に戦争をふっかけさせたとも考えられるのだが。

(本記事は、著者のFecebookエントリを元にした編集・転載記事です)

 
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