[西野亮廣]<キングコング西野が考える「パクリの定義」>パクリの判断は「似ているか、似ていないか」じゃなくて「面白いか、面白くないか」

社会・メディア

西野亮廣[芸人(キングコング)]
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「パクリの定義」が自分の中でまとまったので記しておく。
先の五輪エンブレム問題がヤンヤヤンヤ言われている中、僕の中では「ステンシル体とローマン体という、そもそも似た書体を元ネタにしているから起こった事故」という説明で腑に落ちた。
お笑いで喩えるなら、「【医者と患者】の設定でコントを作ったら、ボケがかぶった」という状態で、「そりゃ、【医者と患者】という手垢でベタベタの設定で作っちゃったら、ボケもかぶるよ」という話。
当初のデザインでは「展開力」を売りにしていたけど、そもそも書体って…。もっと言えばアルファベットって、カーブや丸や直線の組み合わせで「展開していくことを前提」で作られている。「そりゃ、アルファベットを元ネタにすりゃ展開力があるに決まってんじゃん」って話で、品種改良された「お米」を食べて「この『お米』はオカズに合う!」と言ってるようなもの。
いや、そもそもお米ってオカズに合うから。
飛行機をデザインして、「この飛行機は飛ぶ!」と言ってるようなもの。飛行機をデザインをしたら、そりゃ飛ぶよ。
ただ、批判しているわけではなく、トートバッグとか他の件はさておき、五輪エンブレムのデザインに関しては僕は書体を元ネタにしてしまったことから起こった「事故」だと思っている。しかし、それの理由をどれだけ説明しようが、世間からは「パクリ」とされてしまう。
で、「パクリの定義」なんだけど、つきつめると、「パクリ」と判断されてしまうのは、「似ているか、似ていないか?」じゃなくて、「面白いか、面白くないか」ということなんじゃないかな?
あのエンブレムを発表した瞬間が勝負で、あの瞬間に、あのデザインが国民の気持ちをワシ掴みにしていたら、後からの訴えをはね除けることができたと思う。昔、GOING STEADYというバンドが「銀河鉄道の夜」という曲を発表した時に、「ユーミンの『守ってあげたい』のパクリだ!」という声が少しあがったんだけど、「たしかに、似てるね。でも、この曲、良くね?」と収まった。
つまり、「面白い」が勝っちゃった。「テトリス」の後の「ぷよぷよ」も、そんな感じ。パクリか否かは、「面白いか、面白くないか」。この一点だと思う。
だから、「パクリではない!」と主張しても無駄なんだよね。で、僕は今、似ているも何も、そもそも「ウォーリーを探せ!」を完全に元ネタにして、ひとつの作品を作ろうとしている。これが「パクリ」とされる時は、「『ウォーリーを探せ!』より面白くなかった」というジャッジが下った時だと思っていて、かなり慎重になっている。
 
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