<スタッフが「おもしろさ」の向上に介入せよ>芸人に依存した「アメトーーク:ブラマヨ吉田を支持する会」は中途半端
高橋維新[弁護士]
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2015年7月23日放映のテレビ朝日「アメトーーク」のテーマは「ブラマヨ吉田を支持する会」である。
この企画名の通り、ブラックマヨネーズ・吉田敬を褒めちぎるのであれば、おもしろくはならない。何かをバカにしないと笑いは生じないのである(https://mediagong.jp/?p=8317)。
そして、吉田という芸人は、「マイナス思考芸人」の回でも大活躍していた通り、かなりエキセントリックな人間であるため、確実にそのおかしなところを指摘して貶した方がおもしろくなる。そもそも、吉田には笑いの技能やセンス以外に褒めるべきところがあまりないため、吉田を褒めるだけであれば1時間番組の尺が持たないと思われる。
よって、番組自体も主には吉田を貶す形で推移すると予想された。ではなぜタイトルを「ブラマヨ吉田を糾弾する会」ではなく「ブラマヨ吉田を支持する会」としているかといえば、「フリ」である。
ここでいう「フリ」とは、ボケに先立って「普通の状態が何かを説明あるいは設定する手法」のことである(https://mediagong.jp/?p=7899)。
最初に、「今回のテーマは『ブラマヨ吉田を支持する会』だ」と喧伝しておけば、今回は吉田が褒められるのだ(=それが普通の状態だ)という意識が視聴者に植えつけられる。この状態で、実際は吉田をケチョンケチョンにすれば、ズレが生まれ、それが吉田のおかしいところをツッコんで生まれる笑いとは別の笑いが生み出される。これが「フリ」の役割である。
実際の放送も、大体この予想通りに推移したが、何とも中途半端だったというのが正直な感想である。放映された部分では、出演している芸人たちが、本来吉田を褒めるエピソードを話すべき場で実際は彼の好感度が下がるようなことばかりを話し、吉田を貶していた。
「吉田が女性に対して紳士的である」という前置きから「だからコンドームを常に小袋に入れて持ち歩いている」という結論につなげた後藤輝基(フットボールアワー)や、吉田がわざわざ自分でコントの小道具を用意してくれたというエピソードから最後に「『先輩から恩を受けたら女で返せ』と言われた」というオチを持ってきた橋本武志(烏龍パーク)などはその典型例である。
ここには、前述の「『吉田を支持する会』というテーマなのに吉田を貶している」というズレ(ボケ)があるのだが、ボケているのは吉田ではなくて実際に吉田を貶している後藤や橋本の方である。ただ、テーマが「吉田を支持する会」であり、これがフリの役割を果たしてはいるのだが、却ってそのために後藤や橋本がボケているのだということが分かりにくくなる弊害も生まれる。
こんな時はツッコミの出番であり、「お前ら全然吉田の好感度上がってないやん」と指摘してやれば、笑いが生まれる。この役目は、今回の出演者ならMCの雨上がりかブラマヨ小杉か吉田自身がやるべきであるが、吉田が自分でこの点をツッコんで笑いを生んでいたので、そこは流石である。
それはいいのだが、冒頭、まず吉田の笑いの技能やセンスの高さが褒められる部分があった。そして、ここは完全に吉田を褒める場にしかなっておらず、笑いが生じにくい状態にあった(吉田はおもしろいことを言ってこの箇所でも一人気を吐いていたが)。
もしかしたら、この部分も実際に吉田を褒めることでタイトルと共にフリとしたかったのかもしれないが、フリだとすればあれは些か冗長で、時間を使いすぎである。
加えて、その後の吉田を貶す場面も、芸人たちの自由なトークに任せすぎているような印象を受けた。番組の「空気を読んだ」芸人たちがきちんと吉田を貶してくれ、吉田も貶されていることをツッコんでいたため笑いが生まれてはいたのだが、この芸人たちが空気を読み切れずに冒頭の流れのままに吉田を褒め続けたら目も当てられないところだったので、もっと番組として何をどういう順番で話してもらうかというのは事前に練った方がいいと思う。
要は、芸人たちのフリートークに任せず、もう少し台本をかっちりと作ってほしいのである。吉田を貶すエピソードも、ひとつひとつは吉田のツッコミも含めておもしろく仕上がってはいたのだが、芸人たちが自然発生的に話しているためにエピソード間の関連性が薄く、ぶつ切りで笑いも単発であった。
もっと事前に台本を練り込んで、何をどういう順番で話してもらうかを考えておけば、笑いに深みが生まれるはずである。芸人を集めたトーク番組だからといって芸人任せにせずに、もう少しスタッフが「おもしろさ」の向上に介入してほしいのである。
「中途半端」というのはそういう意味である。
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