ベトナム戦争終結40年から戦争の代償を学ぶ「ディン・Q・レ展:明日への記憶」

映画・舞台・音楽

岩崎未都里[学芸員・美術教諭]
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今年2015年は様々な節目の年です。日本は戦後70年であり、そしてベトナム戦争終結から40年の節目を迎えます。
ベトナム戦争と聞いてどのようなイメージがあるでしょうか? 筆者のイメージでは、アメリカが太平洋戦争以降で味わった「挫折の戦争」である、というものです。ベトナム戦争の米兵の悲劇を描くアメリカ映画の多さは、その証でもあります。
「ディアハンター」(1978)、「地獄の黙示録」(1979)、「プラトーン」(1986)、「フルメタルジャケット」(1987)、他数えきれませんが、これらの映画に共通しているのは、全てアメリカからの目線であり、アメリカ人にとって初の勝てなかった戦争(国民的な挫折体験)であることなのです。
そこには「ベトナム人からの目線」が無く、アメリカ側からのみ。つまり片面からの情報しか入ってこないことは、筆者ならずとも気になる人は多いはず。
筆者は、森美術館の展覧会「ディン・Q・レ展:明日への記憶(7月25日~10月2日)」開催前夜、24日の内覧会へ行きました。ベトナム出身のアーティストであるディン・Q・レ氏は10歳の時、ポル・ポト派の侵攻を逃れ、家族とともに渡米。「ベトナム人と戦争との複雑な関係」をリサーチとインタビューに基づき巧みに描き出したアート作品で注目を集めています。
筆者がこの「ディン・Q・レ展」に注目していたのは、ベトナム人の目線でベトナム戦争をどのように描いているかということです。
アジアにおける初の大規模個展である本展では、写真を裁断してタペストリー状に編む「フォト・ウィービング」シリーズ(1989~)や、映像インスタレーション作品「農民とヘリコプター」(2006)などを展示しています。
レ氏も筆者と同じことは考えていた様子です。レ氏は作品説明で次のように語っています。

「私は渡米後長年、ベトナム戦争について独自の考えを持ってきました。しかし、長年に渡ってハリウッド映画でベトナム戦争を観てきましたが、ベトナム人の登場人物は何も言葉を発しないのです。そこで、私は彼等の声を代弁(独自の思想で作品制作発表するのではなく、)彼等自身の言葉を伝えたかったのです。」

その言葉通りレ氏は展覧会へ史実・事実で作られた作品を並べてゆきます。
「農民とヘリコプター」は、レ氏がレバノン人とともに独学で作成した手作りの軽トラックみたいなヘリコプターがワイドスクリーンの前に展示されています。レ氏は「ヘリコプターはベトナム戦争のアイコン」だと語り、スクリーンの映像には戦時中の米軍ヘリコプターの姿が映し出されています。
「父から息子へ」はハリウッド映画「プラトーン」と「地獄の黙示録」の映像を隣接放映する作品。ベトナム戦争で苦悩するアメリカ兵を演じるチャーリー・シーンとマーティー・シーンが親子なのはとても複雑な気持ちで暫く見入ってしまいます。
「多くのアメリカ兵も苦しんだ事実」をレ氏が作品にできる強靭さに驚かされます。バックボーンにはアメリカの帰還兵達がPTSD(心的外傷後ストレス障害)などで苦しんでいる現実を理解し受け入れている様子が伺えます。次の部屋のポスターでのベトナム語で書かれた文章が語りかけてきます。

和訳「まだ乗り切れていないなんてお気の毒。おかえりなさい、ベトナムへ。ちゃんと終わりにしましょう。」(原文ベトナム語)

筆者が一番心動かされたのは「傷ついた遺伝子」、所謂、枯葉剤による結合双生児達。彼等をモチーフにした人形達は一見笑顔で可愛らしいけれど、頭部は二つへ別れています。現在もベトナムでは枯葉剤による先天性疾患は大きな問題。それにもかかわらず、アメリカではもちろんベトナム国内で語られないタブーなのです。レ氏はこれを可視化することで、幅広く問題提起しているのです。
これらは、世界・外側から見るベトナム戦争への視点と言えるのではないでしょうか。
グローバル化が進み、価値観が多様化する現代の世界において、「公式な歴史」の陰で語られることのなかった「史実と事実」がここにあります。
レ氏の冷静に両面からひとつの戦争を俯瞰したアート活動を「共有」することは、「未来」の為にきわめて重要な体験です。国籍、人種、関係無く、同じ人間として「戦争」の代償を考える、それはまさに今の日本人に必要なことではないでしょうか。
 
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