<テレビ制作者の意欲を削がないテレビ評>ナンシー関のテレビ評論はなぜ、かくも番組の「核心」を突いていたのか?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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ナンシー関(1962〜2002)が居たから、バラエティ番組は面白かったのではないか、と思うことがよくある。
消しゴム版画家、不世出のテレビ評論家、ナンシー関さん。1980年後半からテレビ評を書き始め、2002年に亡くなった。ナンシー関さんは、命を削ってテレビ評を紡ぎ出していた。連載していた週刊朝日の担当編集者から筆者は、

「ナンシーさんには、もう一人、健康管理の編集者をつけるべきだった」

と聞いた。
連載が終わって雑誌の売り上げが目に見える形で落ちたのだそうである。筆者はナンシーさんの書くものをすべて読んでいたが、突然の訃報にがっくりきた覚えがある。ナンシーさんを読んでいたのは筆者だけではない。バラエティの制作に関わるものは、ほとんどすべての人が読んでいたのではないか。
評を書く番組の範囲から判断すると、ナンシーさんは、一日中テレビの前に座っていたと考えられる。テレビを観て、消しゴムを彫って、批評を書いて、テレビを観る。毎日がその繰り返しだったのではないか。健康にはよいとは言えない生活である。
ナンシーさんの批評の誰にもまねできないところは、観ただけで番組の核心を突くことである。それも、ナゼ観ただけでそれがわかるのか、と思うほどの核心である。
筆者が担当した「さんまのスーパーからくりTV」(TBS・1992〜2014)と言う番組がある。この番組は、当初は視聴率が振るわず「さんまのからぶりTV」と揶揄された。踏ん張って、視聴率が20%を越えた頃にナンシーさんが書いてくれた。

「今どき珍しい笑いを取ることだけを目的とした番組である」

この評論には、うれしかった。「情報なんかくそ食らえ、笑いを取るんだ笑いを」。そういう精神を貫こうとしている番組だった。この言葉は作っているものへの最大のエールだった。
その先を読み進むとどきっとした。

「VTRは面白いが、笑いの方向を誰か一人が決めている気がする」

これがつまり、ナンシーさんの突く番組の核心。この、ナンシーさんの推測は見事当たっていた。一人ではないが、笑いの方向を決めていたのは、筆者とプロデューサーの二人である。見抜かれていた。笑いの方向を広げていこうと、筆者とプロデューサーは話し合った。
ナンシーさん亡き後、テレビ評は数あるが、ナンシーさんに及ぶものは一つもない。ナンシーさんに何とか追いつこう、そう思って始めたのがメディア批評サイト「メディアゴン」である。
ナンシーさんという見巧者がテレビを、特にバラエティを叱ってくれたお陰で、バラエティは面白かった。ダウンタウンの松本人志はすべてのテレビ評を無視する中で、ナンシー関だけを評価して、対談を望んだ。
ナンシーさんのテレビ評は核心を突くが、核心を突くだけで、ではどうすればよいか、などの建設的な意見はない。

「改革の方法なんか私は知らない、作っている奴が考えろ。」

と言うことだろう。
今、筆者は、自らも制作者でありながら他人の作ったテレビを評すると言う行為をやっている。これに対して、その行為自体がやるべきことではない、という批判があるのはわかっている。天に唾する行為である。天に吐いた唾は自分の顔に降りかかる。もう、それでもいいから、批評しようという考えに、今は至っている。
テレビ局では編成マンやウーマンが担当の番組をすべて観てチェックしているはずである。あるテレビ局にはその番組チェックを専門にやっている部署がある。交代制で、すべての番組を観る。
そして、テロップの漢字間違いや、不適当なナレーションの指摘、不穏当な発言などをチェックする。時には番組の狙いや構成のあり方に踏み込むこともある。それは文書となって、部署長の決裁を経て各番組責任者に閲覧される。
その部署長だった人物に話を聞いたことがある。部署長はこう言った。

「テレビ局員がテレビ局員を批評するんだから、気を遣わなくてはいけない。制作者の意欲をそぐような文書になっていたときだけ、僕は、書き直しをお願いすることにしている」

筆者はそれを聞いてはっとした。放送作家が書くテレビ評は、つまり筆者が書くテレビ評は制作者の意欲を削ぐようなものになってはいまいか?
そんな時はナンシー関さんのテレビ評を思い出す。ナンシーさんの核心を突くテレビ評は、テレビ制作者の一人である筆者の胸をグサっと突き刺しはしたけれど、筆者の意欲を削ぐようなことは決してなかった。
その理由は何かというと、ナンシーさんのテレビ評から、彼女がテレビが大好きだと言うことが伝わってきていたからに他ならない。
 
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