さまぁ~ず・三村マサカズは「テレビは二流の媒体」と語り「企画重視」のテレビ局を批判できるのか?

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事

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筆者は芸能人を畏怖している。演者・演出家としての萩本欽一さん。テレビマン・司会者としての大橋巨泉さん。コメディアン・役者としての明石家さんまさん。
もちろん、筆者が畏怖するのは、彼ら大物芸能人だけではない。どんな人でも「芸能人」と名の付く人は、すべて畏怖している。
その理由は、彼ら彼女らが、芸能界という底なし沼に人生をすべて投げうって飛び込んだ勇気を持っている人たちだからだ。底なし沼から、浮き上がってくるのはわずか0.2%位だと思われる。1%の富裕層どころの比ではない。
一生浮かび上がっていられる芸能人がいる一方で、一回しか浮き上がれない芸能人(一回浮き上がっただけで一生分稼ぐこともあるのが芸能界の怖いところだ)、一回も浮き上がれない芸能人もいる。全く保険のかからない仕事に就こうとする勇気を筆者は畏怖する。とても筆者には真似できない。
だから、どんな新人の芸能人でも、初対面の時、筆者は怖じ気づいている。気後れする。
放送作家としての筆者の芸能人への立場を披瀝した上で、さまぁ~ず・三村マサカズのTwitter@hentaimimura(3月23日)を読んでみた。

@hentaimimura「某テレビ局。企画重視、そのあとタレント。これで視聴率を狙う。いいときはいい。駄目になると最終回。主役のタレントはワイプで処理。いい加減タレントは怒りますよ!もっと魂のこもった番組を。そうすれば、視聴者はついていくと思います」

@hentaimimura「結局、テレビなんて媒体は元々二流だったんだよね。それがさ、一流大学の就職先になってさ、俺らテレビ観てて、落ちこぼれた人間にとって救いの場所だったわけ。情報なんていらない。情報はみるひとが選ぶ。後は歌と笑いを真剣にお願いします」

「さまぁ~ず」は「バカルデイ」を名乗っていた時代から考えても、「ずっと浮かび上がっていた芸能人」である。ナゼ、浮かび上がっていられたかを、さまぁ~ずは考えるべきである。
それは、彼らが「企画重視」の「魂のこもった番組」に起用されたからではないのか。「タレント軽視」の「貧困企画」ばかりやらされてきたとすれば、それはそれで不幸なことである。また、誰の力で起用されてきたのかにも、さまぁ~ずは、少し考えを巡らすべきである。(念のため、表現力不足で「真意が伝わっていないつぶやき」になった可能性もあることを指摘しておく)

「テレビなんて媒体は元々二流」

何が一流の媒体なのかは異論のあるところだろうし、また、媒体が「二流である」という自覚を失ったらおしまいと言う考えもあろう。テレビ誕生の時はラジオの方が一流のメディアであったことも事実である。

「落ちこぼれた人間にとって救いの場所」

これも事実である。ただし、「落ちこぼれた人間」の中から、浮かび上がった人がテレビに出て「落ちこぼれた人」に、夢を売るのが芸能の仕事であることは忘れてはならないと思う。

「情報なんていらない」

さまぁ~ずのこの意見は頼もしい限りである。三村マサカズと大竹一樹の2人で「情報など見たくならないエンタテインメント性あふれるテレビ」を作って欲しい。
ところで、いまのところ筆者は、さまぁ~ずを畏怖しない。
 
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