フジ月9ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら」最終回で脚本家・古沢良太の描いた「卒業」が素晴らしい

テレビ

水戸重之[弁護士/吉本興業(株)監査役/湘南ベルマーレ取締役]

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フジテレビの月9ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」が大好評のうちに終わった。ヒットメーカー・古沢良太の脚本が冴えに冴えわたった。
理屈っぽく女子力ゼロの藪下依子(杏)と、引きこもり・オタク系男子の谷口巧(長谷川博己)は、自他ともに認める恋愛不適合者。恋愛感情なしの合理的な契約結婚を目指すがうまくいくはずもなく、一時は他の恋のお相手とフツーに付き合ってみたりするが、結局は二人が互いに本物の恋の相手だと気づく、というオハナシ。
クライマックスシーン。依子の30歳の誕生日、部屋に残された二人は、一つのリンゴをニコリともせずに交互にかじりつく。依子がまずかじり、それを巧に渡す。旧約聖書の創世記では、ヘビにそそのかされたイヴが最初にリンゴを食べ、それをアダムに勧めたように。それは神様から食べることを禁じられた「善悪の知識の木の実」だった。
ドラマには、神様はでてこないが、二人はバスの中で、

「恋は苦しいだけのものだから、踏み込んじゃ駄目よ」

と言いながらリンゴをくれる不思議なおばさん(白石佳代子)に出会う。リンゴを食べる前にも、おばさんの声が聞こえる。あのおばさん、神様だったのか。でもリンゴをくれたぞ。おばさんはヘビでもあるのか。
-ん? ヘビ? あーっ! あったぞ!
依子の親戚が飼っているヘビの「太郎」を、巧がパスタと誤ってお湯に落として危うく茹で上げそうになってしまい、あわてて心臓マッサージして一命をとりとめた事件。ヘビがペットって唐突感があったけど、「人類最初の恋の話からもってくるよー」とちゃんと伏線張ってたというわけだ。いやはや。
アダムとイヴは禁断の木の実を食べたことで神の怒りをかい、エデンの園を追放されてしまったが、依子と巧も、「自分たちには無理だ」と決めつけていた<恋愛=不合理なるもの>という禁断の木の実に勇気を出してかじりついた。
二人はそれぞれが住んでいたエデンの園から追放される方を選んだのだ。リンゴをかじりながら、二人の頭をよぎるのは、トンチンカンでカッコ悪いエピソードばかり。食べ終わった時、二人は初めて中学生のようなキスをする。
マニュアル本で学んだ女子力アピールの「アヒル口」をして睨まれたと巧をおびえさせ、完璧な獣メイクで誰だかわからなくなり、クリスマスイブにこれまた完璧なサンタクロースの恰好で現れた依子、巧の「サイボーグ009」のコスプレに合わせて003の衣装で黄色いマフラーを風になびかせてスクーターで港へ向かう依子。
一方の巧はといえば、遊園地で、周囲をデートするカップルたちが突然踊りだし大勢のグループダンスになる演出(フラッシュモブというそうですね)で依子へのプロポーズをし、あっさり断られたり、できもしない料理に手を出し、奇跡的に依子の母の雑煮の味を再現してみせたり。
どれも、依子が巧のことを、巧が依子のことを、つまりは自分には理解できない他者のことを必死に考えて、自分を曲げてまでやったことだった。そのことに急に気づかされた。視聴者も、そして依子と巧も。
最終回の二人はかっこ良かった。それもすごく。

「自分じゃだめなんです! この人を幸せにしてあげてください、お願いします!」

と別の相手に土下座までして互いの幸せを願った二人。ああ、かっこ悪いということはなんてかっこいいんだろう。
ラスト近くの回想シーン。電車に乗っている小学生の依子(内田愛)は、切符の4ケタの数字を計算して10にするテンパズル(メイクテン)がうまくいき、これをお守りにしたいと言って、母(和久井映見)に、ダメよ、降りられないじゃない、と言われる。不満そうな依子。
そのとき、席の前に立った少年(山崎竜太郎)が、そっと自分の切符を差し出し、お守りの切符を胸にしまえ、と合図をする。
大人になった時と同じファッション、茶色いジャケットにハットをかぶった巧少年だ。ホームの依子に向かって、動き出した電車の中から控えめなVサインをする巧。
それをみて、少しだけ微笑む依子。なんだ、依子、ちゃんと初恋してたじゃないか。巧、かっこいいことしてたじゃないか。お互いを恋愛不全症と自覚していた二人は、ずっと昔にリトル依子とリトル巧としてかっこよく出会っていたのだ。
そして、ラストシーン。
デートのリスタートの日、二人は横浜港大桟橋に繰り出す。お互いの問題点をあげつらうことに関してはあれだけ多弁だった二人が、無言で満開の桜を見上げる。
「まだ見ますか」と言う依子に、巧が依子の手を握り「もう少し見ましょう」と言い、依子も「わかりました。もう少し見ましょう」と応える。
桜を見上げる二人のロングショットでドラマは終わる。楽園を失いエデンの東の世界に出た二人は、笑いもせずにただただ桜を見上げる。それは二人にとっての決意の誓いであり、「卒業」の儀式だった。
 
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