<引退「ご祝儀露出」を活かせるか>亀田興毅「ネットは度が過ぎる。相手にしない」は自分自身へのブーメラン?

エンタメ・芸能

矩子幸平[メディアゴン編集部/ライター]
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引退を表明したプロボクサー・亀田興毅氏が、さっそくバラエティ番組へと登場し「ビッグマウス・キャラ」からの脱皮とイメージアップに懸命だ。
10月25日、引退表明後初のテレビ番組出演となったフジテレビ「ワイドナショー」では、これまでのビッグマウスから一転、

「自分は今までボクサーとしてのいち商品だった」

という「新たな設定」を展開した。「実はそんなに悪い人じゃありませんよ。演出ですよ」とでも言いたげだ。この新たなキャラ設定を印象づけたいのか、番組では妙に「大人びた発言」が目立った。
特に、亀田興毅氏を含めた亀田ファミリーへの悪評や批判が高まった状況に対して、コメンテーターのダウンタウン・松本人志氏の、

「ネットでひどい言葉があると、そいつのとこ行って戦おうかと思う」

という発言に対し、亀田氏は、

「ネットでは度が過ぎたものもあるが、相手にしない」

などと切り返しているが、これを聞いて呆れた視聴者は多いはず。亀田ファミリーへの批判・批判は、単なる「ヒール(悪役)演出」だけに起因しているわけではい。
演出を超えたルール度外視の言動、いわば「度を過ぎたビッグマウス」や「度を過ぎたスポーツマン精神の欠落」に対し、一般視聴者だけでなく、ボクシング業界をも巻き込んだ批判を生んできたのである。
もちろん、スポーツに演出は必要であろうし、特にボクシングのような格闘技では過激な演出も不可欠な要素だ。しかし、それにも最低限のルールと節度がある。たとえ必要不可欠な「闘争心という演出」「格闘家という商品」であっても「度を過ぎる」ことは許容できるものではないし、それがキャラでも演出でもない「実体」と思われても仕方がない。
亀田氏が述べる「度が過ぎたものもあるが、相手にしない」という発言。奇しくもこれは「自分自身へのブーメラン」になっていると言えるのかもしれない。
引退を表明し、「ビッグマウス演出」を封印させられることになる亀田氏を、社会やメディアがどう「相手にする」のか、それとも「相手にしない」のか。今後の亀田氏の立ち位置に対して、下世話な好奇心からとはいえ、関心を持っている人は多いだろう。
いづれにせよ、「引退のご祝儀」として提供される集中的な露出。この「ご祝儀」をうまく利活用し、芸能界の速く・短い賞味期限のサイクルに対応できる実力をつけられるかどうかが最大の焦点だろう。
 
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