<「蔡國強 – 帰去来 -」展を見る>伝統的な絵画の技法に限界を感じた「火薬を使った芸術家」
齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]
***
横浜美術館で蔡國強(中国の現代美術家・ニューヨーク在住)の大規模な個展が開催されている。
蔡國強というと筆者には中国の万里の長城を火薬の導火線を延ばして爆破することで万里の長城自体を延長させるという壮大な作品(万里の長城を一万m延長するプロジェクト)を、確かNHKのドキュメンタリーで見たのが最初にこの作家を知ったきっかけだったと記憶している。
とにかくとても印象的で、かつ大陸的なスケール感を感じたものだ。その後も、世界各地で花火や火薬を使った大規模なプロジェクトを行っていたことは、今回の横浜美術館に出品されている映像作品「蔡國強 巻戻 2015」というビデオ作品で知った。いずれも火薬や花火の性質を熟知し、かつきわめて効果的に使い、いずれも印象的な作品となっている。
ちなみに「巻戻」というタイトルの通り、彼の作品や業績を紹介するこの映像作品は、本展の2015年からはじまり、自身の作品や野外パフォーマンスなどを時代をさかのぼる。やがてはマッチの箱に絵を描いていた父の膝の上でアートに出会う、というところで終わっている。
今回の展覧会でもっとも注目を集める作品は、というと難しいのだが、チラシ等にも使われているイメージ、99体の実物大のオオカミのレプリカが疾走し、硝子の壁に激突してゆく様を描いたインスタレーションだろうか。この「壁撞き(かべつき)」と題する作品は2006年にドイツで公開された。
硝子の壁の高さはベルリンの壁の高さとそろえたということで、ベルリンを東西に分けていた壁がなくなったあとにも存在する見えない壁(そちらのほうがはるかに性質が悪く、問題であるとの作家の思いが込められている)を象徴している。
そのガラスの見えない壁に向かって、オオカミたちが咆哮しながらぶち当たる様がまるで光速度撮影の写真のように立体のインスタレーションで表現される。
観客は精巧にできたオオカミの間近に近づきながら、壁にぶち当たったオオカミが、崩れ落ちながらも再度態勢を立て直し、またもやスタート地点に戻って壁を打ち続けるかのような、再帰性を感じさせる作品を、上方からの俯瞰以外のあらゆる角度からながめることができる。
そのほかにも上海当代芸術博物館との共同制作による陶板に、陶製の精巧極まりない四季の草花や鳥、蝶や虫を配置し、そこに墨の絵を書くように、火薬を置いて爆破させて墨絵のようなドローイング風に色をつけていく作品なども、見ごたえは十分である。
今回は多くの学生などに手伝ってもらい、この美術館の壮麗な吹き抜けのエントランス・ロビーで火薬を使って、おそらく初めて和紙という素材に火薬で絵を描く大型作品を制作している(「夜桜」2015)。
その模様もまた、会場内で映像作品として見ることができる(「帰去来 2015年」)。なるほど、このようにしてあの墨絵のようなドローイングが完成するのか、と興味深い。
火薬は中国の発明品の一つであり、暴力的なことに使われてきた歴史がある。しかし、作品上で火薬を爆破させる際の量やタイミング、火を消し止める際のやり方、適正な火薬量など、火薬をコントロールする技術を積み上げる。
数多くの野外パフォーマンスを成功させることにより、蔡國強は火薬の持つ意味合いを変え、大空や夜空、あるいは巨大な和紙(今回、横浜美術館で公開制作した「夜桜」)をカンバスに変えてきた。
近年は火薬の種類を計算して鮮やかな赤や青色を発色させることもしている。2008年の北京オリンピックでの開会式・閉会式での花火のパフォーマンスは、彼の名を美術界に留まらないところまで広めたに違いない。
一方で「黒い花火」として昼の空に、カラスのような漆黒の花火をいくつも打ち上げて空を飛ぶ黒い渡り鳥の群れのように作りだした作品。火薬で大空にはしごがのびていくように見える作品(「スカイ・ラダー」2012年)など、空をカンバスにしてスケール感のある作品を自在に作りだしている。
今年はこの横浜での大規模な展覧会以外にも、越後妻有アートトリエンナーレで大型プロジェクトが予定されている。かつて日本で、それまで制作してきた伝統的な絵画の技法に限界を感じ火薬を使い始めたのが、この作家の出発点であるという。
政治的なテーマ性を持ち自らの出自を見据え、世界的に活躍しながらもしっかりと地に足のついた危なげのないアーティストといえる。この夏は、横浜でも越後妻有でも、どちらでも気の向くほうに足を運んでみてはどうだろうか。
現代美術が、観念の中だけではなく、確かにこの世界につながっているリアルなものだ、ということを感じられる、この作家に出会いに。そして見たこと感じたことを、ぜひ身近な人と語りあってほしい、そう思わせる良質な展覧会である。
【あわせて読みたい】