<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産⑤ボケとツッコミではない 「コント55号」は“振り こなし 受け”
高橋秀樹[放送作家]
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(「萩本欽一インタビュー」その④はこちら)
「コント55号の話を聞かせて下さい」
「“ボケとツッコミ”って言うでしょ。あれはコントじゃなく漫才。漫才の人はボケの人が面白いことをやって、それを突っ込にの人が止める、その繰り返し。ボケて止めて、ボケて止める」
「なるほど、単発の笑いの繰り返しということですか。でも、ボケもツッコミも両人とも力がある人だと、そうはなっていないような気がします。やすしきよしさんや、阪神巨人さん。コントに近くなってるということですか」
「55号のコントは“ボケとツッコミ”じゃないんだよ。“振り”と”こなし”と”受け”なんだ。“振り”には2種類あってそれは『いじめる』と『欠点をつく』その一番わかり易い例がマラソンのコントだ」
それはこんなコントだ。
大将のコーチの元にやってきた二郎さんのマラソン選手、元は、線路工事で働いていた。うまく走ることが出来ないが、ツルハシを持つと上手に走れる。
「僕が二郎さんを走らせてみる、二郎さんは右足を出すと右手がでてしまう」
「それじゃあダメだから『手とは遠い足を出しなさい』(振り)という。すると二郎さんは遠い足を探して自分の足ではない他人の足を見る(こなし)『自分の中で探しなさい』(振り)という、すると二郎さんはどこだかわからなくなる(こなし)」
ああ、自分の文章力がもどかしい。ここにコントの動画が貼り付けられれば最高だ。
つまり、このコントでは大将の振りを二郎さんがこなすことで笑いを積み重ねてゆく。この場合大事なのは、こなし役二郎さんは「何をやらされても。けっして苦にしない」ことと「素人を演じるプロで」あること。大将の振りの方は「できるだけ曖昧で的確な指示をだすこと」だと、大将は言った。
「できるだけ曖昧で的確な指示をだすこと」は「半分しか教えない」という言葉で表現した。「できるだけ曖昧で的確な指示」や「半分しか教えない」ことは、こなし役に解釈の自由をあげることである。
“受け“は、フォローとも呼ばれる、リアクションや、余韻や、ハッピーエンディングに持っていくための後処理のことである。これを、セリフを最小限にして、動きで見せる。セリフは何故ダメかというと、ストーリーの流れを切って「終わり」にしてしまうからだそうだ。
「この動きはテレビでは伝わらないということですか」
「伝わるよ、生の半分は」
「半分しか伝わらないということは、残りの半分は伝わると」
「そう、だから後は工夫、その工夫をするのは僕の仕事じゃない。信頼して任せられる人がいるかどうかだけだ」
(その⑥につづく)
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