<発言撤回すべきではない>ジョージ・ルーカスも感じた「スターウォーズ/フォースの覚醒」はダメな続編
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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ローリング・ストーンWeb版は次のように報じた。
(以下拙訳・補足)
スター・ウォーズの生みの親であるジョージ・ルーカスは、シリーズ最新作の「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」に近よることをあまりよしとしない。IndieWireでのチャーリー・ローズによるインタビューで、(米PBSの長寿インタビュー番組「チャーリー・ローズ・ショー」であると思われる)ルーカスは、スター・ウォーズに対する独占権について議論するとともに、新作に対する彼の考え方を話してくれた。
2012年、ルーカスは彼の独占権をウォルト・ディズニー・カンパニーに4億ドルで売った。インタビューでは、彼の映画作りと経歴、彼が作ったスター・ウォーズシリーズ(彼はこれらを自分の「子供」だと言っている)、スター・ウォーズという作品の販売、昨今の大ヒットする作品、またディズニーとは異なる彼自身の「独占権」についてのヴィジョンについて(次のように)話す。
「彼らは(ディズニー・カンパニーの製作者)は、(私の考えた)ストーリー(ルーカスの脚本はすでに進んでいた)を見ているんだ。彼らはこうも言う。『我々はファンをターゲットとした何かを作りたい』」
「彼らは私のストーリーを使いたくないと決心した。彼らは彼らにしかできないことをやると決めた」
「自分は何よりもストーリーを重視して、父と息子の問題、祖父や、世代について描くつもりだった。スター・ウォーズは、結局のところ家族ドラマ(ソープオペラ)だ。スター・ウォーズはよくスペースオペラと言われるが、本質は家族の物語。ソープオペラであって、宇宙船がどうこうではない。しかし、ディズニーが求めたのは『ファンのための映画』だった」
ルーカスは、彼自身の続編についてのアイディアにディズニーが興味を持っていなかったと言う。
「彼らはどうしても僕を巻き込みたいというほど熱心ではなかった。僕がそこに入れば、ただトラブルを巻き起こすだけだ。なぜって、彼らは僕が彼らにやってほしいことをやろうとはしていなかったから。
そして僕からの彼らに対するコントロールはもうきかなくて、僕が彼らにやってほしいことをやらせることはできなかった。僕がやろうとすることは全部何もかも台無しにするだけだった。だから僕は言ったんだ。『オーケー、僕は僕の道を行くから、彼らにも彼らの道を行かせてやれ』って」
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」について言えば、ルーカス自身が強く主張するように、彼が独占権を持っていれば彼はこの作品に違う形でアプローチしていただろう。
「彼らは(昔のスターウォーズのような)レトロムービーをやりたかったんだ。俺はそれは好きじゃない。映画を作る時はいつも、他の作品とは違うものにすることに一生懸命だ」
「僕の映画は全部が全部完璧に違う。新しいものを作るために、違う星に行き、違う宇宙船を出す」
(以上、Rolling Stoneから引用)
しかし、ルーカスはディズニーに気兼ねしたのか、すぐにこの発言を撤回したとも伝わってくる。「フォースの覚醒」が歴史的なヒットを記録し、発言に批判が集中したこともあったのだろうか。声明を発表。「言葉選びを間違えた」と謝罪しているのである。
「私は言葉選びを間違え、とても不適切な比喩を用いてしまった。このことに関してお詫びしたい」
不適切な比喩とは、「スター・ウォーズ」をディズニーへ売却した後の葛藤について「愛する我が子を奴隷商人に売ってしまった」と発言してしまったことを指すと思われる。
「ディズニーとは過去40年間にわたって一緒に仕事をしてきており、彼らを『スター・ウォーズ』の保護者に選んだのは、ディズニーと、ボブ・アイガー会長のリーダーシップに尊敬の念を抱いているからだ。
ディズニーは『スター・ウォーズ』というフランチャイズを大切に扱い、見事に発展させている。私は自らの心情を明らかにするために声明を発表することはめったにしたことがないが、ディズニーが『スター・ウォーズ』を抱えていること、映画やテレビ、パークでエキサイティングな方向へ導いてくれていることを、心から喜んでいることをきちんと伝えておきたい。なによりも、新作の記録破りの大成功にびっくりしているし、J・J・エイブラムス(『フォースの覚醒』監督)とキャシー・ケネディ(ディズニー傘下で『スター・ウォーズ』のブランドマネージャ、ルーカスフィルムのプレジデント、『フォースの覚醒』からエピソードVIII, IXと続く三部作のプロデューサー)のことをとても誇りに思っている」
ルーカスも、もう70歳である。筆者は、映画を見て「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は映画自体がレプリカである残念感を感じたと書いたが、それと同じことを本音ではルーカスが思っていたことに驚いた。奴隷商人という比喩は確かに謝罪に当たるかもしれないが、映画自体については発言を撤回してして欲しくなかった。
「ダメな続編」ができることくらい悲しいことはない。
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