映画の「2」は「1」よりも面白くないというジンクスを破った『Ted2』

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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こういうエンタテインメント映画を見ると、アメリカはまだまだ大丈夫、と思ってしまう。貧困とか、格差とか、実は不平等とか、中国に追い越されるとか、アメリカの凋落はいろいろ言われるが、こんな娯楽コメディ映画を他のどの国が作れるというのか。
先日、「Ted2」を、渋谷の東宝シネマで観た。
本作は映画の「2(ツー)」は、面白くないとか、ハリウッドのコメディ映画は日本では成功しないとか言う、定石を破っている。
後者で言えば客席は8割の入り。笑い声も結構起きる。なぜ、日本では成功しないかと言われるかというと、ギャグが分からないからだという側面がある。「Ted2」にも、分からないギャグは沢山あった。でも、ここがギャグだというのは最低限分かる。
しかも、「Ted2」は涙も流せる人情喜劇仕立てである。その点で言えば「男はつらいよ」と同じだ。この系統のコメディには「花嫁のパパ」(1991・スティーヴ・マーティン、ダイアン・キートン)があるが、これも優れていたのに興行的には成功しなかった。
日本人はこういった映画をなぜ観ないのか。筆者が考えるに、挿入されるギャグが「意外」や「奇抜」系統の意味性の薄いギャグだからである。「意味性が薄いからといって面白くないのではない」ことを書き添えておく。
意味性の薄いギャグばかりでできた映画もあり、これはこれで筆者は好きである。「裸の銃を持つ男」「フライング・コップ」(ともにレスリー・ニールセン)などがこれに当たるが、これらはすべて意味性の薄いギャグだけで構成されていると言ってよい。こうなると、日本では観客の入りは最低、閑古鳥が鳴いていた。人情とお涙ちょうだいと感動がなければ(最近は情報ですか)日本では成功しないのだ。
ところで、「人情・お涙ちょうだい・感動」の最高峰とも言える「男はつらいよ」でも、1984年の「夜霧にむせぶ寅次郎」でもは、渥美清が明らかにぬいぐるみと分かる熊に追いかけられるのを空撮で捉えるシーンがあって、これは「山田洋次監督がやけを起したに違いない」と、思ったものである。
渥美さんは、芝居で笑いを取る浅草軽演劇出身の人であって、その人にこんな小学生でも考えつく吉本新喜劇ギャグをやらせた山田監督も、一切手を抜かず演じていた渥美さんも偉いと言えば偉い。内容はシリーズから、封印抹殺した方が良いと思えるほどの最低作であった。
さて、「Ted2」である。
「Ted2」はなぜ、「映画の2(ツー)は、面白くない」というジンクスから逃れることができたのか。
その理由は、「2(ツー)」は「1(ワン)」とは全く別のストーリーにしたからである。「1(ワン)」で、使えなかったギャグを入れようとか、「Ted」のこのキャラクターが評判だったとか、マーケティング至上主義のアメリカだから絶対調査をしているはずであるが、それをTedを演じ、監督・脚本・製作を手がけたセス・マクファーレンが、全部蹴っ飛ばしたのである。「好きなことやろう」と。
ところで、筆者が好きなギャグはNBCテレビのギャグ番組「サタデー・ナイト・ライブ」(Saturday Night Live)のパロデイ。パロデイのパロデイは通常御法度だが、面白いからいいや。それから、映画は女優で観るがヒロインの新米弁護士役アマンダ・セイフライドはすこぶる可愛い。
観劇後「英語が分かればもっと面白いのにね」と、感想を言う人が必ずいるが、それは厳密には間違いだと思う。真は「アメリカに2年以上(ぐらい)住んでる人が見ればもっと面白い」
で、こうなれば三谷幸喜監督・脚本の「ギャラクシー街道」は、もうクランクアップしたろうけれど、どの辺を狙ってくるのか、楽しみにもなってきた。
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