<「おしゃピク」って何?>インスタ女子たちの歪んだリア充

社会・メディア

藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]
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2016年頃からにわかに流行り始めた「おしゃピク」という言葉。「おしゃピク」とは、「おしゃれなピクニック」の略で、おしゃれなアイテムを持参したピクニックを行い、それを「おしゃれな写真」に収めてインスタグラムなどのSNSに投稿する、という一連の活動をさす。
パステルカラーを基調にしたレジャーシートなどでコーディネートをし、デパ地下や青山/表参道のカフェで売ってるような、サンドイッチや惣菜類(あるいはそれを真似た自作)で構成されたランチボックス。
ランチボックスといってもいわゆる「弁当箱」ではなく、可愛いらしい皿やボウルなどで彩られ、「おしゃれな女子会ランチがそのまま屋外に来た」といった様相である。写真に収め、公開することが前提となっているため、ペナントや布、クッション、キャンドル、ぬいぐるみ、目的不詳の雑貨など、本来のピクニックを楽しむ上では明らかに不要なアイテムも少なくない。
少なくともピクニックでは不可欠な紙コップのような使い捨て食器類やクーラーボックス、アウトドア用便利グッズなどはない。ピクニックというよりは、1枚の「おしゃピク写真」を撮影するためだけに、大きなエネルギーを投じているというわけだ。最近では「おしゃBBQ」(おしゃれなバーベキュー)のような亜種も出ているが、素材とテーマが違うだけで本質的には同じである。
「おしゃピク」というキーワードで画像検索をすれば、山のように写真が発見できるが、それら「おしゃピク写真」には奇妙な共通点がある。それは、ピクニックにも関わらず、ほとんどの「おしゃピク」写真には、人間が写っていない、ということだ。おしゃピク風にコーディネートされた「おしゃれ現場」が写るだけなのだ。
この異様さは、「おしゃピク」ではなく「ピクニック」で画像検索をすればその違いは一目瞭然となる。「ピクニック」というキーワードの検索結果には、ピクニックを楽しむ参加者たちが必ず写っているからだ。
「楽しむ人」が主人公であるピクニックに対して、「おしゃピク」は、それ自体が目的であり、主人公になっている。つまり、「おしゃピク」はピクニックというよりも、むしろ「おしゃピク写真」を作るための撮影会に過ぎないのだ。
しかし、ここで定義される「おしゃれ」も極めて画一的である。一時期、同じようなファッション・メイク・髪型をした若い女性層「量産型女子」が話題になったが、ここではいわば「量産型ピクニック」が作られている。パステルカラーと木製食器をベースに、同じような食材で構成された、極めて画一的な「おしゃれなピクニック像」なのである。
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スマホ時代の今日。それは誰もが高解像度のデジタルカメラを持ち歩いていることと同義であり、いわば「1億総カメラマン時代」といっても過言ではない。もっとも身近な生活ツールとして、カメラが存在している。
芸能人でもないのに、多くの若者たちが常に「撮影される」という感覚を持ち、実際に撮影されることにも慣れている。「自撮り」を含め、芸能人ばりに「写ること」へのプロ意識を持つ若者たち。誰もがカメラマンであり、被写体となっている今日、自分がどのように写真に写るのか、またどう見られているかという意識だけがひたすら肥大化している。
冷静に考えればこれは異常な現象だ。
インスタグラムを媒介にして急速な知名度を上げたタレント・GENKINGが、SNS上でセレブを演じるための写真をとるためだけに、身の丈以上の浪費を繰り返したことで、結果的に1000万円を超える借金を作ったエピソードは有名だ。
規模と桁こそ違え、同じような問題に直面する若者たちは少なくないように思う。事実、筆者は研究室の女子学生から「就職活動が忙しくて、インスタ用の写真をおしゃれなカフェに撮りにゆけない」とか「バイトを減らしたから、最近お金がなくてインスタの写真が撮れない」という奇妙な愚痴を聞いたことがある。
「おしゃピク」写真を撮影し、インスタグラムで公開し、見ている人たちから「いいね!」を押されることだけを目的にした奇妙なピクニック。そこにあるインスタ女子たちの歪んだリア充感に、スマホ時代の今日の日本社会が抱える「病」を感じるのは筆者だけだろうか。
リアルな日常を1枚の写真でリアルタイムに伝える便利で直感的なツールであるはずのインスタグラムの世界に、リアルは全く感じないのはツールとしても本末転倒だ。
SNSでのリア充アピールに疲れ、消耗し、そこから離脱する人は少なくない。身の丈に合わない無理をしたり、本来の自分とはかけ離れたイメージを維持することは極めて困難だ。非日常的な「日常」の捏造にはお金がかかるからだ。
人工的なリア充写真を見て、「私もあんな風になりたい!」と思って、同じようなリア充アピールをするために「おしゃピク」写真を撮影する。離脱するまで、そんな無限ループが続くのだ。もちろん、そこにリアルなリア充は存在しない。もしかしたら、羨ましく思っている方が、「カリスマ化」している方よりも、実際には裕福で充実している環境であるかもしれないのだ。
メディアが多様化している今日、様々なニーズに合わせ、様々なメディアを使い分けることができる便利な時代だ。しかし、その一方で、日本のような世界でも類をみない豊かな国家に住む若者たちが、充実を捏造しようとする生き焦るメンタリティには、ゲーム中毒どころではないスマホ時代の社会病理を感じる。
 
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