<「役立つ番組」の氾濫は制作者の怠慢>なぜ、情報に依存するテレビ番組が増えたのか?

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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フジテレビの「ヨルタモリ」(日曜日・23:15〜23:45)が話題になっている。
最近では珍しい安易に情報に依存しない新番組だ。かといって悪乗りでも、暴露でもない。芸とセンスがあれば情報に依存しなくても番組が出来る、ということを実感させてくれる。
ここで疑問がわいてくるのは、「情報に依存する番組が増えたのは何故だろうか?」ということだ。
かつてはこれほど「役立つ番組」は夜の時間帯には多くなかった。健康や貯蓄、旅行、住宅情報、海外生活、趣味、ダイエット・・・今、さまざまな役立つ番組が氾濫している。
第一に考えられるのは、「役に立つ情報がないともたない」と考えているということだ。これはどの局も同じような出演者が出るようになったという影響があるかもしれない。人を満足させるようなことをしゃべったり、やったりすることはやさしくない。
毎日出続けていれば準備も仕込みも出来ない。しかし、誰かしゃべったりしたことへの反応なら出来る。「反応芸」のうまい人が重宝される。反応するには「情報」が一番やりやすい。だから、「情報がないともたない」ということになる。
さもなければ逆だ。情報番組が「番組の体裁を作る」ためにタレントが必要になった。その結果「物知りタレント」が闊歩することになった、ということだ。
かつて、TBSのあるプロデューサーから「日常生活はネタの宝庫だ」といわれたことがある。日常生活を調べていけば、人がいる、生活がある、笑いがある、泣きがある。確かに人のいない「情報」を取材したり、番組にしたりするのは難しい。情報も人間さえいれば笑えるネタにも、泣けるネタにもなる。
・・・確かにそういう面はある。しかし、それだけで「飽きさせない番組作り」をするのは簡単ではない。情報をそのまま流しても多くの場合面白い番組にはならない。だから芸人をスタジオに置くというわけだ。
だから日常生活周辺は「話のきっかけを作るものでしかない」と考える。「ちょっとした情報」さえあれば良いと。「後の調理」は芸人がするもの、という役割分担になってゆくのだ。
しかし。これで「面白い番組」になっているか、というと疑問である。反応芸ばかりの番組、これはすぐ飽きられるのではないか。面白いと思うのは錯覚ではないのか、と。この辺に、どの局も同じような番組が作られている原因があるような気がする。
では、「ヨルタモリ」はどうなっていくのだろうか。いつまで「情報と無縁」でいられるのだろうか?という疑問もある。勢いのみなぎる芸人を作り出していくのは簡単ではない。ゲストの周辺情報が必要なトーク番組になって行くのではないかという気もする。情報に頼らない王道の番組を作り出してくれれば良いが・・・などと老婆心ながら心配してしまう。
ただし、これだけは言えることがある。

「安易に情報に頼るのはやめたほうが良い。情報を扱うなら、やはり腰をすえてやることだ。ネタでも情報でもそれにパワーがなければいけない。それが面白くなければ番組は続かない。」

ということだ。
逆に情報に依存する番組があっても良い。ただ、芸人の話術を生かすべきだろう。そのためにはやはり作ったものにパワーがなければいけない。パワーのある情報を出さなければいけない。
そのためにも「日常生活はネタの宝庫だ」と言う言葉をもう一度考えてみたい。それだけでも違った番組が生まれるかもしれない。
 
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