連載小説「オデュッセイア」を書き始めて気づいたこと[茂木健一郎]

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茂木健一郎[脳科学者]
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ぼくは、自分の人生で実験するのが好きで、今ブログで連載している小説「オデュッセイア」も一つの実験である。
本当は、意識に関する堅いエッセイの連載でもしようかと思っていた。ところが、その日の朝、夢の中であるものが出てきて、起きてから「ああ、じゃあ、小説の連載でもしてみようか」と思って、その日から始めたのである。
以前から、新聞などの連載小説はどう書いているんだろう、と興味を持っていた。特に、夏目漱石は、『三四郎』とか『それから』『こころ』など代表作の多くが朝日新聞の連載だけど、どうして書けたんだろう、とふしぎに思っていた。
【参考】博士号を辞退した夏目漱石の「かわいい過激」[茂木健一郎]
漱石の性格からして、結末まですべて見通していたとはなんとなく思えない。こんなことを書こう、というイメージがあって、あとは毎日の分を書いて、それを新聞に掲載して、書き継いでいったのだろう。
実際にヘボ小説を毎日書いていってみると(今朝で5回目)、今なんとなくわかってきたのが、それまで書いたものはいわば「固定」された過去のようなものになって、それを前提に次の切断面を考えるということで、ちょっと、人生そのものに似ている。
実験で始めた連載小説『オデュッセイア』がこれからどうなるのか、次の回の文章しかわからない状況だけど、毎日連載する小説を書いてみることが、これまでの過去がフィックスされてその上で今日の断面に向き合う人生に似ていることに気づいたのは、一つの収穫であった。

 (本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 
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