<テレビはアップのメディア>テレビは全体像を伝えることが不得意なメディアである
高橋秀樹[放送作家]執筆記事
- 「寄れー、よれー、寄りだー」(アップにしろ)
- 「引けー、ひけー、引きだー」(全体像を撮れ)
と、全く正反対のことを叫んだ尊敬する2人のテレビマンがいる。
「寄れー、よれー、寄りだー」だと叫んだのは浩宮さまと、雅子妃のご成婚パレードを取り仕切った技術プロヂューサーである。この中継の価値はお二人がどのような表情をなさっているかを視聴者に伝えることにある。豪華な馬車や車列の長さは一瞬見せればよいのだ。ほかは全部お二人の表情のアップにしろ、と、中継じゅう叫んでいたんである。正解であると僕は思う。
「引けー、ひけー、引きだー」と叫んでいたのは萩本欽一である。収録されたコントの編集上がりを見て叫んでいた。コント55号のコントは、舞台を上手から下手縦横に使ってものすごい運動量で演じられる。だが、全体像を一度見せたらアップにいくのが鉄則のカメラ割りでは、欽ちゃんや、二郎さんの表情がどうしてもとりたくなってしまう。だからアップになる。そこが萩本には不満だ。
つま先や、手の仕草、二人の位置関係、そこにギャグが肺いているのに「何で余計なアップにいくのか」適切なアップならまだいいが、ギャグがわかっていないなら、「全体像をとってくれ」そうしないと、コント55号が面白くなく見える。萩本の悲痛な叫びだ。正解であると僕は思う。
ところで、単純化するために二項対立で考えてみよう。テレビはアップのメディアか、引きのメディアかである。これは圧倒的にアップのメディアである。女優の泣き顔のアップ。もらい泣きする視聴者。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」のである。
テレビは、部分の事実を切り取るのに大変、長けたメディアである。即ちアップ。「STAP細胞は、あります」という小保方さんのアップ、「集団的自衛権は必要なんです」と訴える自信ありげな安倍首相。皆アップ。
しかし、このアップに惑わされてはならない。テレビはアップの後に出来事に対して「引き」になってその裏事情も伝えているのだから、そこは見逃さずに見るべきなのだ。テレビが全体像を伝えることについてきわめて不得意なメディアであることを理解して。
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