<素人は芸人予備軍ではない>なぜテレビで芸人が「素人をイジる」のか?

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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「素人をいじる」という言葉が最近使われる。いつからこんな言葉が使われだしたのか分からない。
素人が出演する番組は昔からたくさんあった。しかし、素人参加のクイズでも、歌番組に素人が出ても「いじる」という言い方はしなかった。ステージに素人を上げてやり取りをするようなイメージなのだろうか。本来「いじる」は芸人の未熟なものを相手にするようなことを言ったように思う。
それがいつの間にか素人まで対象を広げていった。芸人のほうが町に出て素人を相手にするようになり、それも「いじる」という言葉で表現するようになった。
素人は芸人予備軍なのだろうか?
ノンフィクションの番組にとって、素人は重要な登場人物だ。世間を被写体にしようとしているわけだから。そこには結構面白いことが起こっている、面白い人がいる、不思議なことがある、というような狙いがある。芸人のトークを楽しもうというものとは違う。
素人という呼び名で呼ぶのは「プロにはなれていない」ということなのだろうが、素人は別に芸を求めているわけではないだろう。
逆に「その道の熟達者」といって良いような人がいると俄然面白くなる。「その道」とは、難しい技を持っているというような人ばかりではない。小学生には小学生、幼稚園児には幼稚園児の道がある。本当に心配したり、喜んだり、ほっとしたりする表情は芸人にはまねできない。
結婚したばかりの夫婦には光り輝く瞬間がある。子を見守る親には他に変えられない、愛情が感じられる時がある。それを見つけられれば、こんな素敵な被写体は無い。ある瞬間に輝く人だ。
だから、面白そうな人を見つけても、毎週出そうというのは無理なのだ。
この辺をうまく使っている番組がある。日本テレビが多いような気がする。「一億人の大質問!笑ってコラえて!」や「はじめてのおつかい」には光り輝く瞬間がある。
たぶん「いじっている」のではないのだろう。ステージに上げようとしているのではなく、探しに行く。そしてその苦労をいとわない。その瞬間を待っている。
結果、素人の個性をうまく引き出している番組は長続きする。ステージに上げるような番組がすべてだめだといっているわけではない、難しいのだ。そんな話術を持っている人はそれ程いない。
以前、100歳の人たちだけを取材した番組があった。元気な人だけを取材したものだが、これが面白い。70歳を越えた息子に対して百歳の母さんは、まだ小言を言う。

「まだ、こんなことも出来ないのだから」

息子は子供のように母の言葉に従う。70歳過ぎの子供は脚立に乗って、片付け物を粛々とやる。
タバコ屋の店番をしている100歳は、横文字の名前が分からなくなっている。客が横文字の銘柄を言うと、知っている日本文字のタバコの名前を言ってみるが、客は「違う」と言う。客は横文字の名前を済まなそうに何度も言う。これが繰り返される。だが誰も店番が悪いなどとは言わない。100歳は町内の人気者だ。
「いじる」必要はない。その瞬間を待てば良い。その瞬間を作ればよい。そこにノンフィクションの醍醐味がある。
 
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