<映画「ペンタゴン・ペーパーズ」>日本の報道機関・官僚・政治家のすべてが見るべき映画

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(The Post)』(監督スティーヴン・スピルバーグ、主演メリル・ストリープ、トム・ハンクス)を見た。

舞台は1971年のアメリカ。時の大統領はニクソン。宗主国フランスの後を引き継ぐ形で始まったアメリカによるベトナム戦争は泥沼化している時代である。アメリカ政府はこのベトナム戦争の惨状を国民にひた隠しにしたまま、アメリカの若者を戦場に送り出し続けていた。

その戦場を目の当たりにした軍事戦略の研究機関ランド研究所のダニエル・エルズバーグは、自らも加わってまとめた国家最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を持ち出し、新聞2紙に持ち込みんだ。まずはニューヨーク・タイムスが記事を掲載する。ところが、アメリカ政府はこれを記事にすることは、国家の安全保障を干犯するとして連邦裁判所に提訴する。ここから国家対報道の戦いが始まった。

本作を見て思ったことは、「アメリカの自由はまだまだ健全だったのだなあ」ということである。

まず、国が戦況についてウソの発表をし続けることを座視できず、いわば、命がけで文書を持ち出すシンクタンク職員の存在である。しかも、軍の設立したシンクタンクなのである。そして、例え国が自分たちを牢獄に放り込んだとしても、記事は書かなければならないと主張する記者の職業意識。これを凜として認める新聞社主の存在がある。

【参考】<行政から報道への脅し>暴言にメディア各社は反撃を 

今の日本なら、どうなるだろう。筆者は知る限りの記者や報道機関のトップの顔を思い浮かべて想像してみたが、7対3で記事化しない派が多いだろう。そう考えると、やはり今話題の放送法第4条の二項「政治的に公平であること」は廃止すべきなのだろう。これを根拠に介入されたら腰砕けになるのがテレビ局という報道機関だ。

アメリカには次のような合衆国憲法修正第一条がある。

「連邦議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない」

これを根拠にヒューゴ・ブラック判事は次のような新聞勝訴の判決を書いた。

「合衆国健国の父は、憲法修正第一条をもって、民主主義に必要不可欠である報道の自由を守った。報道機関は国民に仕えるものであり、政治や政治家に仕えるものではない」

日本にはこんな勇気のある判決を書ける裁判官は少ないだろう。大半が、国におべっかを使う裁判官ばかりである。三権分立はどこに行ったのかと思いたくなるときが時々ある。民主主義の先輩アメリカはいま、危ういながらも民主主義を堅持出来そうな気配だが、そのアメリカからもらった民主主義を(310万人の戦没者の犠牲をもって手に入れた民主主義という見方も出来るが)日本は大事にしているのだろうか。

それを考える意味でも、この映画『ペンタゴン・ペーパーズ』は、日本の記者・報道機関トップ・官僚・政治家…すべてに見て欲しいと思う。

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