NHK『チコちゃんに叱られる!』ネタ選びミスは番組生命を縮める
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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がんばれ、NHKの『チコちゃんに叱られる!』。もうネタが尽きてしまったかのようなお題選びは、今のところ絶対に避けるべきだ。
それはなぜか。
『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられるようなネタを昔は「無用の知識」と言った。ワニブックスから「無用な知識の本」(1983年)というのが出版され、ちょっと目端の利く物を作る人は、この本を原典にテレビ・ラジオ・出版あらゆるジャンルで企画書を書いて提出したものだ。
通った企画もあっただろう。しかし、そのうち業界には「無用な知識の本」の企画書であふれかえり、新奇さと言う輝きを失って消えていった。この本にも、SFの巨匠アイザック・アシモフの次の箴言が乗っていたような気がする。
「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物だ」
これら「無用の知識」を、「素朴な疑問」と言い変えて成功したのが、久米宏のラジオ(TBS)である。映画館の肘掛けは左右どちらの人のものか、などというお題を久米宏のトークと進行の上手さで見せて行くラジオ。
「おばあちゃんの知恵」のような変奏曲もあった。ゆで卵の殻はどうやればきれいに剥けるか、などをスタジオショーで見せる『伊東家の食卓』(NTV)だ。
そういった路線の集大成に見えたのが『トリビアの泉』(CX)。徹底的な実証主義が新しいが企画は古い。この番組の優れていたのは、トリビアの種というコーナーを持っていたことだ。視聴者から「調べてみることでトリビアになりそうな日常の疑問」を公募し、「世間ではバカバカしくてやっていないような素朴な疑問」を調査・実験など実際やってみる。原型である「世間に流通している素朴な疑問」のネタが切れてしまうことはスタッフは分かっていたのだろう。
さて、これら先祖の血脈を継ぐのが『チコちゃんに叱られる!』である。何しろ『トリビアの泉』のディレクターと『チコちゃんに叱られる!』のプロデユーサーは同一人物である。筆者はこれを「まずい」と行っているのではない。テレビ番組は所詮ほとんどが先行作品の一部模倣であるからだ。
【参考】<チコちゃんに叱られる>岡村隆史のNHK初レギュラー番組に感じる「志」
かつて筆者は『チコちゃんに叱られる!』を、志を持った番組であると期待を込めて述べた。新しい手法を使っているからだ。ツッコミの出来ない岡村隆史に代わって、木村祐一演じるチコちゃんという5歳のCGキャラクターを起用した。木村はもともと大阪風の鋭いツッコミが出来るが、CGキャラクターの中の人になることでさらに厳しい落としのツッコミが出来るようになった。大竹まことを「シティボーイズの人」と呼んでも平気なのである。スタッフはこの人物の構図を使う番組内容として『トリビアの泉』ネタが、最適だと判断したのだろう。
だが、8月31日放送の『チコちゃんに叱られる!』は、少々感心できなかった。取り上げたネタのひとつが、それこそ何度も利用されている『子どもがウンチが好きなのはどうしてか』なのだ
しかも、フロイトを持ち出してこれを解決しないでくれと思ったが、解決は残念ながらやはりフロイトの精神分析だった。「幼児には肛門期と呼ばれる肛門を中心とする小児性欲を持つ時期があり、幼児はウンチ自体を自分の子どもだと意識する。排泄訓練を施される時期でもあり、適切なときと場所でトイレが出来ると、褒められることでウンチがすきになる」と言う考え方である。
これは、フロイトがインタビューや思索にによって考えついたものであり、これを根拠にネタを展開するのはよくある話。もう飽きている。そもそもフロイトの精神分析は、今や心理学の範疇ではなく、思想、哲学、文学の範疇である。だから、「あくまでも心理学に基づく専門家の見解だ」という番組のおことわりにも、違和感がある。専門家として登場した大学教授も心理学者というよりもドイツ文学者であろう。日本には30人ほど精神分析家と呼ばれる人がいるそうだが、それらの「専門家」は取材に応じなかったのかも知れない。
言いたいことは、何もこんな危険なネタに近づかなくても『チコちゃんに叱られる!』にはまだまだたくさんのネタがあると思う、ということだ。ネタ探しに注力すべきである
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