NHKドラマ「ロング・グッドバイ」はアメリカ原作のストーリーと核心を残しつつ日本化に成功した好例

テレビ

水戸重之[弁護士/吉本興業(株)監査役/湘南ベルマーレ取締役]
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前回の記事で、アメリカの原作を日本版としたNHKドラマ「ロング・グッドバイ」のローカライズの正しさについて書いた。
「ロング・グッドバイ」は、ロバート・アルトマン監督、エリオット・グールド主演で一度、映画化されている(1973年公開)。本作は、時代を1950年代から1970年代に移し、探偵フィリップ・マーロウや相手役のテリー・レノックスのキャラクターも原作の印象とはだいぶ異なる。
まず、二人でギムレットを飲むシーンがでてこない。シルビアを殺したのは本当にテリーだった。結末でマーロウがテリーを射殺してしまう・・・など、原作のファンからすれば「オイオイ」という部分も多い。
戦争と軍隊をちゃかした「M★A★S★H」のアルトマン監督のことだから、カウンターカルチャーの視点で、古典的な意味でのカッコよさの象徴であるマーロウの意味を変えることで、チャンドリアン(チャンドラーファン)を射ち抜いたのだろう。
原作への米国での評価や、第二次大戦やベトナム戦争からの帰還兵、50年代と70年代の文化的違いなどへの理解がないと、この映画への正しい評価は難しい。「アルトマンのロング・グッドバイ」という別の作品というべきだろう。
これと比べると、NHKドラマ「ロング・グッドバイ」は、やはり「正しいローカライズ(現地化)」と言いたくなるほど、原作のストーリーと核心を残して、日本化に成功している。

  • 劇中歌「さよならを言うことは」(大友良英)

さて、このドラマでは、全編を心地よいJAZZとブルースが彩る。音楽担当の大友良英は、「あまちゃん」とはうって変わって、抒情あふれる音楽世界を生み出した。このドラマのオープニングで、歌姫役の福島リラが歌うスローバラード「さよならを言うことは」は、このうえなく美しい。歌いだしの歌詞は、”To say goodbye is to die a little”。
この一文、原作の終盤近くにも登場する。マーロウは、テリーの殺された妻の姉(もちろん大金持ち)と寝て求婚されるが、「6か月ともたない」とつれなくする。
翌朝、女を見送った後、枕に残った長い髪の毛を見て、マーロウはフランス人の言葉を思い出す。

「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」

これは村上春樹の訳だが、清水俊二訳では「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」となっている。村上は、この一文について、コール・ポーター作曲の”Every Time We Say Goodbye (I Die a Little)”というヒット曲があったことを指摘し、さらに、フランスの詩人エドモン・アロクールの詩が一般的には元ネタとされていると紹介している。
私はこの訳を「さよならを言うのは、少しずつ死ぬことだ」と思い込んでいた。清水訳とも村上訳とも違う。どこかで見た気がしていたが、記憶が捻じ曲がったものか。チャンドラーの翻訳家であった田中小実昌か双葉十三郎かと考えても見たが、二人とも「ロング・グッドバイ」は訳していない。
人は誰かと別れるたびに少し痛みを感じ死に近づく。時間の進行は誰にも止められないし、引き返すこともできない。別れの喪失感と死への時間の切なさが重なるのだ。そんなことを考えていた。
ようやく最近になって、「R・チャンドラーの『長いお別れ』をいかに楽しむか」(2013)という、清水俊二訳と村上春樹訳を比較検証する本で、著者で文芸翻訳者の山本光伸氏が「さよならを言うたびに、人は少し歳をとる。」という訳も可能かもしれない、と書かれているのを知った。私の理解も当たらずとも遠からず、かな。
ちなみに、「さよならをいうことは」は、このドラマのキャッチコピーに使われているが、磐二のセリフとしては登場しない。バックに、福島リラの美しい歌声が流れるだけだ。

  • 劇中アイテム「ギムレット」

原作のエンディング近く、友を裏切り自殺したように見せかけていたテリー・レノックスは、マーロウに見破られると、かつて一緒に飲んだカクテルの名前を口にする。

「ギムレットには早すぎるね」

あまりにも有名なセリフだ。「ギムレット」とは、ジンとライムジュースのカクテルの一種である。なんだ、ジンライムと同じじゃないか、と言うなかれ。作中、テリーはマーロウに言う。

「本当のギムレットというのは、ジンを半分とローズ社のライム・ジュースを半分まぜるんだ。」

ローズ社のライムジュースとは、甘味の強いコーデュアルライムジュースのこと。同社のものがない場合は、ライムジュースに砂糖やガム・シロップを少し入れる。つまり、甘いのである。
「長いお別れ」に影響されてバーで「ギムレット」を注文する男には何人も出会ったが、その後ずっとギムレットをマイ・カクテルに選んだ男を知らない(かく言う私も、と告白します)。もともとは19世紀終わりの英国海軍の軍医だったギムレット卿が、ジンを飲みすぎる海兵隊の健康を憂慮してライムジュースと割って飲むことを勧めたことに由来すると言われているので、強い酒ではないのだ。
このセリフはマーロウが言ったものと誤解されることがあるが、テリーのセリフだ。もともとギムレットを好きなのはテリーの方であり、マーロウは「酒について、うるさいことは言わない方でね。」と言ってテリーに付き合うのである。
マーロウは別な場面では一人でバーに行き、マティーニを注文している。この点は重要だ。ギムレットのような甘いカクテルを3杯もおかわりするテリーに黙って付き合うのが、マーロウという男なのだ。
演出の堀切園は、本来はショートカクテルであるギムレットをカクテルグラス(3本指でひょいともつ、あれです)で磐二と保が飲むことはハードボイルド的ではないと感じた。
調べてみるとオールドファッションド・グラス(ロックグラス)で飲む飲み方もあったことを知り、そちらを採用したと語っている。ロックグラスの方が映像としてはわかり易いといえる。もっとも、マーロウはショートカクテルのマティーニを飲んでいるので、アメリカでは特に違和感はないのかもしれない。
細部に思いを馳せているときりがない。衣装や小道具やセットも執念ともいえるこだわりを見せてくれる。
こうして制作された日本版「ロング・グッドバイ」は、サムライ・ハードボイルドの世界を生み出した。いつの日か再び、増沢磐二が大いなる眠りから目覚め、原作のプレイバックではなく、新たな事件と対峙する日は来るのだろうか。
 
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