<萩本欽一論>「演出」=「立場を説明すること」とはどう行われるべきなのか

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
2014年4月25日

 
僕が師と仰ぐ「欽ちゃん」こと萩本欽一がゲスト出演するバラエティ番組の楽屋。あのギョロっとした眼で僕をにらみながらこう言った。
「ディレクターが演出しないんだよね。そこに立ってくれとか、このせりふを言ってくれとかは言われるんだけど、それだけ。僕の立場を説明してくれるディレクターはいないんだよ」
欽ちゃんは「立場」を説明することこそ、演出だ、という趣旨のことを言っているのだが、この「立場」という用語は少しわかりにくいだろう。
当時、欽ちゃんは、『欽ドン』『欽どこ』『欽曜日』というすべて30%を取っていた番組をリタイアし、若干の休養を取った後、自分が作った番組以外へのゲスト出演を始めていた。上記3番組で欽ちゃんは、演者であり、演出家であった。だから、自分の「立場」は、自分で演出していた。
この「立場」とは、どういう人物設定で演じるかという意味である。それが欽ちゃんにとって、もっとも大切な演出であり、その人物設定さえあれば、どんなショウ番組でも、(もちろんコントやドラマなどのお芝居でなくても)あとは、やっていけるということである。
(おそらく)欽ちゃんは、ゲスト出演した番組では、自分が演出家であることを封印し、本来の演出家であるディレクターが自分にどんな演出をしてくれるのか観察していたのではないか。その結果、演出してくれないことがわかったことが冒頭の発言になったのである。
ドラマを除いた情報や、トーク、バラエティなどのテレビ番組で、演出は誰がやるべきなのか。職制から言えば、チーフディレクターがやるべきである。しかし、チーフディレクターが演出力を持っているとは限らない。だから、プロデューサーや、フロアディレクターが、これにあたる場合がある。それはそれでかまわないが、時に見られるのが演出家の不在である。
演出はどう行われるべきなのか。中心となる演出家も含め、可能な限りのスタッフは演者と同じフロアにいるべきである。演者の視線の先に立ってうなずき、笑い、演者にあなたは面白いという光線を発するべきである。決して、スタジオの外で関係ないことをしているスタッフがいてはならない。
 
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