<テレビ局の正社員の「できないヤツ」>番組スタッフが150人なら、テレビ局員はわずか15人

テレビ

高橋秀樹[放送作家]
2014年4月19日

今、テレビ番組の制作をやりたいと入社してくる正社員のレベルは、恐ろしく低い。 と、言い切っておこう。才能のあるものはどこにいってしまったのだろうか。私の世界には才能のある人がたくさんいる、と言う業界の人がいたら是非教えてほしい。
僕がテレビの世界にはいった37年前ころは、キラキラ光るまぶしい才能を持っているテレビマンがたくさんいた。目標にしたい人が無数にいたと言うことでもある。
僕はそもそもコント作家であるが、とても発想できないような奇妙奇天烈な設定を考える先輩作家や、恐ろしくたくさんの舞台や演劇や映画やアメリカのショウや番組を観ていて、僕の面白いと思って書いたコントのだめなところを的確に指摘するディレクターや、僕がそう面白くないと思って書いたコントを、「これはいい」と言って採用して、見事な演出で爆笑コントに仕立て上げる演出家が存在した。これらの人たちは、元は音楽屋さんだったり、演劇人だったり、ラジオからいやいやテレビに異動してきた人だったり、株屋さんだったなんていう人もいた。
それらの人の間でもまれた僕は幸運だったのだろう。 僕がテレビの世界にもぐりこんだはじめは、弱小プロダクションから派遣されたADとしてだった。『飛べ孫悟空』と言う巨額の製作費がかかっていた(と今ではわかる)ザ・ドリフターズがキャラクターと吹き替えを務める人形劇のADには、僕のような派遣社員と、当時はもう入社試験が難しくなっていたテレビ局の正社員が、同時に配属されていた。
プロデューサーが正社員のADに向かってこう言っていたのを覚えている。「お前らは、同じ仕事をしているのに、派遣のADより、何倍かの給料をもらっている。メシ食ったりするときはお前が全部払え」僕の給料は3万円だった。格差なんていうのを感じるより、ただただありがたかった。
当時の正社員はこの何十年の間にあれよあれよと偉くなって、みな管理職や重役になって現場を離れた。彼らと僕は今も仲がよいが、それは同じ釜の飯を食った同志という感覚があるからである。彼らが現場を離れるのと同じ時間のなかで、どんどんできる正社員が少なくなっていった。テレビは劣化していった。
テレビは下請けに支えられているというのはそのとおりで、たとえば月から金の情報ベルト番組を作る人間の総数が150人なら、そのうち正社員は1割の15人。僕の時代は15人のうち、できるやつが8人はいたが、今は5人がせいぜいだろう。そのうち下請けの人間のことまで考えて動けるやつは1人いればいいほうだ。
下請けのディレクターのほうがずっと製作現場でやっていこうと考えている分、優秀で、正社員のできないディレクターの面倒を見ることさえ下請けの人間の仕事だ。正社員の数は昔と比べて少ないので、現場を離れるスピードは速い。管理職にはなりたくない、いつまでも現場にいたいという気質の人もいなくなった。現場を十分に知らないまま、命ずる立場になる正社員は現場のほんとの苦労がわからない。ありえない命令が現場に降ってくる。これではテレビ局にとっていいことはないと思うのだが、今のテレビ局にはものづくりの現場としての戦略を立てられる人もいない。嗚呼。
もちろん下請けの人間がすべて優秀なわけではない。ひどいのになると、正しくテニヲハのかけないやつもいる。それは承知の上でテレビ局の正社員にいる「できないやつ」の例を書いておこう。

  • 専業主婦を馬鹿にして、主婦はどうせこういうものしか見ないだろうと安易な企画を考える人。
  • キャスティングを人任せにする人。
  • 企画書が読めない人。
  • 何の研鑽も積んでいないのに、自分の立場を主張するためだけに、直しを命じる人。
  • 芸能プロダクションの下僕のような人。
  • 番組作りのプライオリティを判断できない人。
  • 決断できない人。
  • 自分の間違いを認めてあやまれない人。
  • (当たる番組は僕にもわからないが)当たらない番組を見抜けない人。

ところで、本稿を書いているうちに、こんなことに気がついた。 安倍晋三政権は「成長戦略」の柱としている雇用制度改革で、正社員雇用の多様化、流動化をはかろうとしている。「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策シフト」という安倍首相の表明は、すでに派遣や契約社員など低賃金の非正規雇用が35%を超えている日本で、正社員雇用のさらなる破壊をもたらすと思われる。
一方で安倍首相が集団的自衛権を与えようとしている自衛隊には、決して非正規雇用は及ばないだろう。 このあたりに、矛盾が透けて見えないだろうか。