<安楽死は医療自滅への誘惑>医療行為に「中断」という選択肢はない
山口道宏[ジャーナリスト、星槎大学教授、日本ペンクラブ会員]
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「生きていていいの」と、事件後にある入居者がそんな言葉を発した。
ときあたかも、メディアは「津久井やまゆり園」の殺傷事件(2016年7月26日)から4年を迎えることを報じていた。無抵抗の重度障害者19人の命を奪った事件で犯人は「生きている意味がない」と犯行動機を語り、障害者と家族、周囲をおののかせた。さらに犯人は同施設に勤務していた介護士と分かり、なおのこと驚愕な事件に。優性思想に依る「命の選択」によるこの事件には、「死刑」判決(2020年3月16日 横浜地裁)が下されている。
「嘱託殺人、逮捕の医師は元官僚」(2020年7月23日毎日新聞)。容疑者は医師2人組、いずれも現役の開業医で、「死にたい」と訴えるALS患者(筋萎縮性側索硬化症)とはSNSを通じ「知り合い」? 殺害 するに至ったという(2019年11月30日)。二人はその日まで患者と面識はなく、部屋に上がると滞在するヘルパーの眼を盗んで「薬」を盛った。患者は死亡。この間10分、2人はそそくさと場を去った。患者からは事前に「謝礼金」を受けていたとも。
ところで、多くのメディアは、事件を「安楽死」を望む患者に依った「嘱託殺人」と報じるも、それら言葉の意味について、認識は十分だろうか!?
「終末期医療」「尊厳死」「安楽死」はそれぞれ別ものだ。ここでの「安楽死」とは「自らの死を第3者に託すこと」。さらに「嘱託殺人」とは、それを託されて殺人行為を為すことといわれ、実行するは第3者だから「自殺ほう助」と通底する。よって「安楽死」は人の生命の「選択肢」をめぐる生命倫理に関わり、その論争は長い。
「自己決定(の尊重)」を盾とする肯定派は「積極的な」「消極的な」「ほかに代替手段がない」「無理に生かされている」、否定派は「殺人である」から「生命の軽視」「医療の混乱が」「医師の職業倫理に反する」に大別できる。
旧くは「東海大学安楽死事件」が思い出される (1991年4月13日。末期がん患者の家族からの懇願に担当医師が「薬」を投与、死亡させた。罪状「殺人罪」刑法199条・平成7年3月28日判決確定 「安楽死4条件」)。日本の刑法は「ー安楽死といえども殺人である」と、断じてきた。それは、拡大解釈への戒めから<疑わしきは生命の維持>と解せようか。
自己決定」の危うさは、医師ならだれもが知っている。「痛い」「辛い」と「生きたい」の狭間で、ひとは心変わりもする。
誰がその苦渋のときを責められるのか
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