<映画「妖僧」から見るコムロ禍>小室圭氏と皇位簒奪者・弓削道鏡
藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]
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映画「妖僧」(1963年)は、時の名優・ 市川雷蔵がカルト的な作品で主演を演じたこと以上に、奈良時代に実在した怪僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を題材とした数少ない映画作品の一つとして知られている。
モデルとなった弓削道鏡(700〜772年)とは、奈良時代に皇統を揺るがした「皇位簒奪者」として知られ、女帝を籠絡した日本三悪人の一人として歴史に名を残している実在の人物である。日本史では「769年・宇佐八幡宮神託事件」として学ぶ内容だ。
映画「妖僧」で描かれる道鏡は、史実の道鏡に忠実ではない。あくまでも存分に脚色されたフィクションの王朝ロマン作品である。しかしながら、女帝から絶大な信頼を得ることで出世し、大臣から法王へと権力の中枢へと登ってゆき、国家を乱すという本筋は史実の通りだ。むしろ、史実の道鏡のエピソードは、日本人的には「ほとんどフィクション」のような信じがたい内容であるといった方がよいのかもしれない。
史実の道鏡は、孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)の病を法力で治したことをきっかけに絶大な信頼を得て出世し、政治へも介入する。孝謙上皇は第47代・淳仁天皇を廃位させると、再び称徳天皇(第48代)として二度目の即位(重祚)をする。道鏡は、称徳天皇の寵愛を受け、政権ブレインとして大臣、法王へと進み、権力者となってゆく。やがて、道鏡は子供のいない称徳天皇の次代として、自身が天皇の皇位に就くことを望み、画策を試みる。しかし、その野望は忠臣・和気清麻呂によって阻まれ、日本の皇位簒奪は辛くも免れる・・・といった事件を引き起こした人物である。
我が国の皇統を揺るがす問題は歴史上幾度も存在してきたが、弓削道鏡事件はその中でもひときわスキャンダラスなものとして知られている。それは、宮廷内の権力闘争や戦争による支配権争いなどではなく、一介の僧侶が、女帝を籠絡させることで皇位を簒奪しようとした点があまりにもショッキングであるからだ。
映画「妖僧」では、修行によって魔力を秘めた法力を体得した道鏡が、その秘法により女帝の病を治すことで信頼を得て、宮廷内で出世、ライバルの貴族を打ち倒してゆく。大臣、法王といった最高権力者に上り詰めた道鏡であるが、やがて命を狙われるようになる。しかし、女と権力を手中にして俗人となっていた道鏡の法力は弱体化しており、病の女帝の命を助けることもできぬまま、刺客によって抵抗も虚しく殺されてしまう、というあらすじである。
史実も映画も、道鏡の野望は外部からの抵抗によって阻まれることで終わる点はある意味「ハッピーエンド」の共通点を持つ。一方で、一介の僧侶が時の天皇を籠絡させ、権力者となるというスキャンダラスなエピソードは、いかに宮廷に入り込んだ「外部の異物」が危険なものであるかを私たちに知らしめる。
映画と史実のもう一つ共通点といえば、道鏡が女帝の寵愛を受け、国のために良かれと思った結果、それが権力と結びついてゆき、国難を生み出していった、という点だろう。いわば道鏡は「悪意のない泥棒」なのだ。悪意のない泥棒、自覚のない詐欺師ほどがタチの悪いものはない、というわけだ。
さて、この映画「妖僧」を見て、秋篠宮眞子内親王殿下と小室圭氏のご婚約問題、いわゆる「コムロ禍」を思い浮かべる人は少なくないはずだ。
なぜなら、道鏡事件とコムロ禍は、時代こそ違え、女性皇族を介することで「外部の庶民」が宮中の内部に入り込み、それがやがては皇位の正統性を揺るがし、国難として大きな問題を生み出す要因となる、という点においてはエピソードとして完全に一致しているからである。
道鏡が厳しい修行を経た僧侶として怪しげな法力(おそらく、人を惹きつける知性と人身掌握術、女性を籠絡させ、言いくるめることができる高い口撃力なのだろう)を持っていた、という点も、小室圭氏が弁護士を目指して法学の知識を駆使した高い口撃力を身につけているという人物像とどことなく重なる。
道鏡事件は日本史上でも類を見ない皇統スキャンダルであるためか、その知名度に比して、映画やドラマ、漫画などになっている事例は極端に少ない。ご皇室のスキャンダルをテーマとしたエンターテインメントがいかに作りづらいものであるかを改めて知らしめている。実際、数少ない道鏡コンテンツである本作「妖僧」でさえ、怪しげな法力を操る妖僧と女帝の宮廷ロマンスという内容であり、皇位簒奪をテーマにした映画ではない。
我が国において、皇位・皇統に関する問題は、映画やエンタメコンテンツにすることさえも阻まれるナイーブな問題だ。その意味では、昨今の「コムロ禍」がいかに異常な事態であるのかがよくわかる。
小室圭氏が皇位簒奪を狙っているとは思えないが、女性宮家や女系天皇に関する議論もされている今日、どんな形であれ小室圭氏と眞子内親王殿下とのご成婚が実現すれば、現在の皇統が「小室朝廷」へと切り替わる危険性は十分にある。少なくとも、国家のあり方の根幹を揺るがしかねない大きな問題は生み出すだろう。南北朝動乱、明治維新を超える、道鏡事件に継ぐ1250年ぶりの皇統の危機として、将来、映画化されても良いぐらいのコンテンツではないだろうか。
いささか不謹慎かもしれないが、「コムロ禍」を別の視点から考えるためにも、ぜひ映画「妖僧」を見ていただきたいものだ。
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