眞子さん『トゥルーマン・ショー』で『マトリックス』なNY生活
藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]
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ジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』(1998)と言えば、離島の小さな町の保険会社に勤める主人公の生まれてから今日までの全ての人生が、リアリティショーとして世界中にテレビ中継されており、主人公の全てが「作られた世界での、作られた人生だった」・・・というコメディだ。この作品は、見ていると、そこはかとない悲惨さと恐怖を感じる映画でもある。
今いる世界は現実なのか?という問いをモチーフとしたコンテンツは少なくない。例えば、映画『マトリックス』では、ほとんどの人類がケーブルでコンピュータに接続され、コンピュータが作り出す仮想現実の平和な20〜21世紀らしき世界で生かされている。ここでは、自分が「作られた世界での、作られた人生」ということに気づく人すらいない。
コメディ映画『トゥルーマン・ショー』は、「作られた世界の作られた人生」に生きる主人公以外、家族を含めた全ての人々がエキストラであり、主人公以外の全ての人は、彼の人生が作られたものであることを知っている。それに対し、SF映画『マトリックス』の世界では、ごく一部の目覚めた人を除き、それがコンピュータが作り出す仮想世界、仮想人生であることを知らない。
ただし、共通点はある。作られた世界の作られた人生であることに「気がついた人(=主人公)」が、そこ(=作られた世界)から逃れよう、本当の世界に出てやろうと、もがき苦しみ、無駄な抵抗を続けている、という点だ。
『トゥルーマン・ショー』では主人公は壮大なセットであった自分の暮らす世界から「外の世界」へと脱出を果たすが、そこで番組は終了となる。外に出たはいいが、番組を打ち切られたトゥルーマンは、どうやって生きてゆくのかを視聴者は考えさせられる。ハッピーエンド的なエンディングではあるものの、映画は「その先(現実世界でのサバイバル)」については描いていない。常識的に考えれば、まず、生きてはゆけまい。動物園の生き物は、いきなり野生に戻されても、生きてゆくことはできないのだ。
『マトリックス』では、仮想現実に気づき、ケーブルから切り離され、現実世界に目覚めた主人公は、そこで、荒廃して廃墟化した過酷なリアルワールドを目の当たりにする。現実世界に戻ってこれたにも関わらず、平和で楽しい「あたりまえの日常」がある仮想現実の世界に憧れたり、戻ることを望むキャラクターが登場する。
作られた世界、仮想現実の中で生きてきた人にとって「作られていない」現実の世界は、どうしても行ってみたい夢の国であるが、一方で、現実は、往々にして彼ら・彼女らの予想とは大きく異なる。予想以上に厳しく、醜いだけでなく、豊かでも幸せでもないからだ。これらが両映画に共通したコンセプトであり、視聴者にあたえる恐怖感の源泉であると言っても良い。
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さて、現実の日本に目を向けてみれば、小室圭・眞子夫妻が『トゥルーマン・ショー』と『マトリックス』を掛け合わせたような人生(ストーリー)を展開していることに、不気味さと恐怖を感じる日本人は多いはずだ。
米法律事務所・小室圭職員と駆け落ち婚ともいえる状態で、ご皇室と日本から抜け出し、アメリカ・ニューヨークへと渡った元内親王こと小室眞子氏。最低でも年収2000万円は必要とされるニューヨーク・マンハッタン一等地でのセレブ生活をするためには、夫である小室職員の収入では不十分であると言われる。もちろん、借金の返済能力や元皇族の安全確保能力なども常に疑われている。
しかし、セレブ支出は滞りなく支払われ、高級マンションでのセレブ生活も順調に進められている。安心・安全も十分に保全されているように見える。なぜ、そのようなありえない生活ができるのか。それは小室夫妻の生活が、第三者によって作られた人工的な世界に生きる、人工的な『トゥルーマン・ショー』であるからだろう。
小室眞子氏がニューヨークでの自由を満喫し、日本で見せなかったような笑顔を出し、羽を伸ばしている様子がネットメディア、雑誌メディアを中心に、日々報告されている。小室職員のさまざまな疑惑や問題はさておき、「よかったねぇ」と安堵するような世論もあるが、自由を謳歌する小室眞子氏のニューヨークライフは、完全に人工的であり、不気味だ。
ジャーナリスト・篠原常一郎氏の調査によれば、小室夫妻のニューヨークライフは、実質的に外務省や宮内庁という第三者によって支えられているのだという。篠原氏によれば外務省の補正予算の中にすら、小室夫妻支援のためと推察される予算確保が確認できるのだという。
もちろん、日本を象徴するご皇室の元内親王たる人物が、惨めな生活を海外晒すようなことはあってならない。その一方で、私たちが感じる違和感は、小室眞子氏が謳歌するニューヨーク生活が『トゥルーマン・ショー』で『マトリックス』な状態であることに、本人たち以外の誰もが気づいていることにある。エキストラに囲まれ、完全に人工世界で生きる仮想現実な生活は本当に楽しいのだろうか? 本当は気付いているんじゃないか、と。
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小室夫妻が居住するセレブマンションが外務省の予算と人手によって手配されていると篠原氏は報じている。もちろん、小室夫妻には見えないようにはしているのだろうが、十分な警備も組まれているのだろう。眞子氏に気づかれないように、スパイのようなボディーガードが街中にうろついていることだって想定の範囲内だ。
いやらしい邪推かもしれないが、眞子氏がよくゆくスーパーや飲食店などの従業員の中にさえ、外務省から派遣されたボディーガードやスタッフが扮して働いている可能性すら感じる。街ですれ違うホームレスや、犬を散歩している老夫婦、タクシーの運転手やバーテンダーすら、エキストラかもしれない。
もちろん、『トゥルーマン・ショー』の主人公や『マトリックス』の住人たちが、真実に気づくまでは幸せであったように、小室眞子氏も真実に気づくまでは幸せであろう。しかし、問題は今後だ。
『眞子さんのトゥルーマン・ショー』『小室マトリックス』の制作予算が税金である以上、この作品は永遠には続かない。やがて、本人の意思とは無関係に番組は終了し、仮想現実のショーは終焉を迎える。
両映画がそうであるように、現実を知ると「むしろ気づかなければよかった」と思うことだってあるだろう。映画ではその現実に耐えられず苦しむ場面も出てくるが、これに小室眞子氏は耐えられるのか。『トゥルーマン・ショー』で『マトリックス』な世界に生きる小室眞子氏を見て、私たちがそこはかとなく虚しく、恐ろしさを感じる。
『トゥルーマン・ショー』で『マトリックス』な生活の中で、小室眞子氏はどんな夢を見て、どんな将来を描いているのだろうか? 筆者には、恐怖しか見えない。
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