<実録TGC:第1回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

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メディアゴン編集部

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新しい投資? それとも新しいアートビジネス? それとも・・・?

今、何かと話題のNFT。仮想通貨とデジタルコンテンツを組み合わせた何かであり、これまで金額などつかなかったJPG画像やネット動画のようなデジタルコンテンツに数千万、数億といった高額な価格が付けられて話題になる。小学生が夏休みの宿題にiPadで描いたようなデジタル画像が高額転売されている・・・といった景気の良いニュースを目にすることは多い。

そんなNFTに東京ガールズコレクション創業者として知られる実業家・大浜史太郎氏(Jake Ohama)が「NFTデジタルアートムーブメント」プロジェクトを掲げ、オランダ、シンガポール、英国から本格参入するという。

NFTへの参入は「ブームに乗る」という意味も多分にあろうが、ファッション業界で成功を納めた大浜史太郎氏だけに興味は尽きない。大浜氏がNFTに参入する意図と狙いは何か。本稿では、東京ガールズコレクションからコロナ禍を経て、NFTへと至る経緯を、メディアゴン編集部が、大浜史太郎氏に直接にインタビューした。東京ガールズコレクションの知られざる歴史について詳細に述べてもらった貴重なインタビューである。(全て大浜史太郎氏に直接取材。全7回を予定)

[参考]<NFTで新展開>東京ガールズコレクション創業者がNFT参入へ

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日本最大級のファッションイベントとなった東京ガールズコレクションの創業者である大浜史太郎氏。スマホ登場以前から、携帯電話を利用したファッション通販事業などを手掛けるなど、20〜30代の若い女性市場では数々の先進的な事業を成功させてきたことでも知られる。

その大浜氏がNFT事業に本格的に参入することを表明した。「NFTデジタルアートムーブメント」というプロジェクトで、はずはオランダ、シンガポール、英国から正式に開始し、今後はグローバル展開するのだというから、いやが応でも注目は集まる。(日本では、2月22日に公式ホームページにより正式発表)

NFTと言えば、仮想通貨を利用して新しい投資対象としても注目が集まるが、一方で、無名の芸術家やアーティストなどの新しい活動手法、作品売買の方法としても大いに注目を集めている。これまでコピーの用意な実態的な価値がないと言われてきたデジタルコンテンツに対しても、天文学的な価格が付けられることも珍しくなくなっている。もちろん、現段階では投機的な側面が強いが、一方で、ビジネスとしてだけでなく、これからの時代の芸術活動のあり方としても、大いに注目が集まり、その可能性が模索されている。

今回、大浜氏が立ち上げるプロジェクト「NFTデジタルアートムーブメント」は「蓋然的無条件性指向(probabilistic unconditionality-oriented)」をコンセプトに、ビジネスというよりは、芸術運動として側面が強いようにも思う。大浜氏の先進的でユニークな視点はなかなか理解されないことも多く、時代はいつも何年も後になってからその指摘の意味を理解し、何とか追いつく・・・といった事例は少なくない。

例えば、2000年4月に日本初の若者女性を対象として携帯サイト「girlswalker.com」を立ち上げた。編集長である自身が自ら、考えて書き下ろした毒舌診断の「悪女占い」を中心に、瞬く間にクチコミで女性の会員数を増やし、「携帯の小さい画面で見るはずがない」という周囲の予想を裏切り、すぐに大ブレイクした。

その人気は凄まじく、翌年には角川の年間ランキングでも1位に輝き、3大携帯通信キャリアでも公式サイト化され、結果的にこれだけでも累計で数十億円を売り上げたほどだった。2000年当時から日本で初めて白黒画面の携帯端末で洋服の販売を開始した。

当時はケータイ王国とまで言われていた日本である。日本初とはすなわち「世界で初めて携帯で洋服を売った」ことをも意味した。amazonはまだモバイルには参入しておらず、ZOZOはこの世に存在さえしていなかった。

今日に至るネット通販の基礎を作ったいわばモバイルコマースの革命児といっても過言ではない。それが当時でも評価されいたことは、2002年には「日経インターネットアワード 日本経済新聞社賞」や「第6回オンラインショッピング大賞」まで受賞していることからもわかる。

当時の携帯画面は縦横3 x 4センチ程度の大きさで、白黒全盛期の時代。iPhoenが発売される7年も前の話である。何社ものアパレル企業に社長・大浜氏自ら営業したが、東京のアパレル企業の多くはどこも携帯をバカにして、全くかけあってくれなかったと言う。「ケータイでモノが売れるはずがない」。そんな時代だ。

その一方でgirlswalker.comは急激に成長を続けていた。それに牽引されるように、怒濤の如く携帯サイトのメディアやポータルが登場しはじめ、いわゆる「ケータイ小説(2002年頃)」なども登場するなど、携帯サイトは、若い女性層を中心に、主要メディアとしての地位とシェアを高めてゆく。サブメディアに過ぎなかった携帯電話を主要メディアの一角へと押し上げた大浜氏の業績は大きい。また、この実績は当時、誰もが予想をしなかったことでもある。テレビや雑誌など中心に「ネットメディアは便所の落書き」などと言われ、卑下されていたことを記憶している40代以上の世代は多いはず。

さて、そんな大浜氏がコロナ禍での巣篭もり期間を経て、本格参入することを表明したNFT市場。ファッションとも接続・連動したプロジェクトであることは当然として、アニメや芸術作品なども取り込み、文字通り「NFTデジタルアートムーブメント」として展開してゆくという。

NFTと言えば、話題にはなっているがなかなか理解の難しいものの代表例である。もちろん、大浜氏がこれから展開を予定しているNFTプロジェクトについても、正式発表前の現段階では雲を掴むような話かもしれない。もしかしたら「怪しい」とか「そんなに簡単ではない」といった批判や懐疑を持つ人は多いだろう。しかし、「携帯で服を売る」時がそうであったように、大浜氏は自分のプロジェクトが最初は誰にも理解されない、ということを分かっており、批判や懐疑は折り込み積みであるという。

一方で、大浜氏は次のように語ってくれた。

「今回のプロジェクトには既に複数の機関投資家とも全体の予算については交渉済みです。予算規模はかなり大規模になる予定。プロジェクトの全貌と詳細については、年内には正式に発表できると思います。まずは2月22日の第一弾の公式発表を楽しみにしてください」(大浜氏)

一体、今回のプロジェクトが生まれた背景には何があるのか。大浜氏がこれまで歩んできた成功の裏側にある数々の『苦悩と挑戦』を見れば、今後の新しいプロジェクトが向かう世界の行方を、少しは垣間見えるヒントになるかもしれない。

本連載では、大浜氏が「ポストTGC」と位置付けるNFTデジタルアートへの本格参入の意図を知るために、TGCの立ち上げに至るまでの前史から今日に至るまで経緯を追ってみたい。

まずはTGCからNFTへと展開するプロジェクトの原点。それは神戸から始まった。(第二回に続く)

 

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