<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産⑮チャップリンは、何故、爆笑シーンをカットしたか。

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
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当メディアゴン執筆者のお一人、ドワンゴの吉川圭三さん。明石家さんまさんの本を書こうとして、さんまさんに「活字はイメージを固定するからなあ」と言われたことを書いていた。その通りである。熟達の文章家であっても、人物像やその人の動きを細大漏らさずニュアンスまで含めて写しとることは不可能に近いだろう。
僕は、大将(萩本欽一)の話を聞いて、その笑いと動きの奥義を写し取ろうとしている。笑いの動きは基本的に融通無碍を理想とする。その時しか出来ない一発勝負。それを僕などが写し取ろうとするのは、群盲象を評す行いである、だがやらずにはいられない。心してかかるしかないだろう。
大将はチャップリンを尊敬している。1971年(昭和46年)、当時スイスでひっそりと暮らしていたチャップリンに面会している。

「尊敬はもちろんしてたけど、映画も映画館で見るしかない頃で、全部観たわけじゃないし…というくらい。とにかく、行ってみたらマネジャーが『どなたともお会いしません』と言う。でも通って3日めに暖かく迎えてくれたんだよ。周りがガードしてただけなんだんなあ」
「それから、機会を見て映画は全部観た」
「あるとき、NHKから話が来てね。チャップリンが映画には使わなかった残カットのフィルムがたくさん残っているから、それを見てくれという、以来だった」

残カットというのは、編集して一本の映画にするときに撮ったものの使わずに残ったフィルムだ。

「チャップリンの映画は、監督、プロデューサー、原作、脚本、音楽、編集、全て本人じゃないの。だから、このカットを切る、使わないっていうのはすべて本人の意志なわけ」
「で、見せてもらった」
「最初は犬。浮浪者のチャップリンに蚤がたかる。その蚤が飛んで犬に移る。すると犬が猛烈な勢いで体をかきむしる。それが馬鹿におかしい。でもこのシーンはカット」
「それから、影絵、チャップリンの患者が医者に行って、検査のためにチューブを飲まされる、そこは影絵で表現している、影絵だから、いくらでもチューブが飲み込める。終わって、チャップリンがふらふらになって、診察室から出てくる。意外の笑い、これもアイディアがいいから笑える。でもやっぱりカット」
「それからこういうのも観た。チャップリンが病院の廊下でカートを押している。向こうから酔っぱらいが千鳥足でやってきてチャップリンとすれ違う。これをまるでダンスみたいな動きでチャップリンがよけるリズムと動きのギャグ。最後に酔っ払いが水に落ちる。みごとに。でもこれもカット」
「三番目のシーンを完成した映画で観たら、水に落ちるのはチャップリンに変わってる」
「これでわかったよ、チャップリンは画面に自分より面白いものや人やことが写っているのは決して許さないんだって。その理由は、全世界のチャップリンファンがも待っているのは、チャップリン自体が面白いことだって、チャップリン本人がわかっていたからじゃないかって。チャップリンより面白い犬も、影絵も、酔っぱらいもいらない、世界の人は待っていない、待っているのはチャップリンだって。この自信を持ち続けるのは本人にパワーが要るよねえ」

大将はチャップリンという名を何度も使って力説した。NHKの番組は、犬をカットした理由として「チャップリンは画面に自分より面白いものが写っているのが許せなかったのです」というナレーションをしていたと記憶する。
大将はチャップリンのような立場になろうとしなかったのだろうか。

「映画も撮ってみたよ」
「テレビのディレクターにもなってみた」
「でも、やってみて思ったのは、ここから先はお願いしますって頼んだほうが、僕の仕事はうまくいく。頼まれた人がちゃんと仕事して僕に運をくれるんだ」

(インタビュー⑯につづく)
 
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