<NHK「これがホントのニッポン芸能史」>「今、落語を勉強している」と語るビートたけしのコント観・芸能観

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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7月11日にNHK BS放送された「たけしの“これがホントのニッポン芸能史”」を見た。「ビートたけしが日本の「コント」の極意を語り尽くす!」と言う触れ込みだ。
出演者はビートたけしの他に所ジョージ、志村けん、ももいろクローバーZ・百田夏菜子、浅田彰(批評家・京都造形芸術大学教授)。このキャスティングが出来るのは制作プロダクション「イースト」社ならではである。
浅田彰のキャスティングの意味がよく分からないが、浅田が時々、意味のありそうな社会学的なまとめをして口を挟む。それに全くリアクションしない「たけし、所、志村」がおもしろい。編集してある番組だから、3人のリアクションをすべて切って編集したのだとしたらディレクターの才能はすばらしい、が、事実は、本当にリアクションしなかったのだろう。
使いにくい浅田のコメントを何とか無理してインサートしているのだ、と筆者は判断する。リアクションしない理由はその社会学的考察が3人には全く響かなかったからである。考察より現場感と言うことだ。木造軸組み工法で家を作っている棟梁に、釘の強度を説明する建築士のような図で、なかなか興味深い。
この番組を勝手に補足してみたい。
番組の主旨であるテレビのコントを語る時に欠かせないのは、今回の番組でも取り上げられた「浅草」である。古くはやはり榎本健一(エノケン)と、台本作家・菊谷栄の劇団カジノ・フォーリーである。
エノケンさんの時代は著作権などの意識がほとんどなかった頃であり、アメリカのコメディ映画を舞台だけ日本に変えた翻案ものが盛んに上演された。名作との伝説が伝わる菊谷栄脚本の「最後の伝令」は、1928年(昭和3年)製作・公開されたフランク・キャプラ監督のコロンビア映画「陽気な踊子」( The Matinee Idol 「マチネのアイドル」)の劇中劇を翻案している。
さらに、テレビ・コントのもっと直接的な源流となると浅草の軽演劇ということになる。軽演劇とはクラッシックに対する軽音楽というような位置づけの言葉である。つまり、基本的には設定のある芝居である。もちろん、笑いの要素が多い。
この軽演劇の設定に使われたのは当時の人には人物設定がわかりきっている「国定忠治」や「瞼の母」「月形半平太」などの時代劇。長谷川伸さんへの挨拶とか著作権料を払うとか言う意識は全くない。長谷川さんも文句は言わない。
役者は筆頭に池信一、今の人でも知っていると思われるのは渥美清、東八郎である。この主舞台であった東洋劇場にたけしさんが入ったときには、軽演劇の主な人はほとんどテレビに進出し、すでに廃れていた。たけしさんは軽演劇に内部の人間としては触れておらず、つまり、漫才しか自分の目では見ていないだろう。ただし、話としてはよく聞いたと思われる。
もうひとつ、大衆劇場「ムーランルージュ新宿座」(1931〜1951)でも笑いの芝居が行われていた。こちらからは森繁久弥、左卜全、有島一郎などが出ている。浅草の人との交流はあったが、芸風は新宿の方があっさりしていてしつこくない。「てんぷくトリオ」もどちらかというと新宿の人である。つまり伊東四朗さんは新宿の芸風である。
それから、テレビ・コントの発祥として忘れてならないのはクレージー・キャッツ、ジャズ屋さんが、ショウ番組の余興として演じたコントである。これもアメリカからの換骨奪胎、フランク・シナトラショー、ディーン・マーチンショウ、こうしたテレビショウではコントは欠かせなかった。
番組の発言で興味を惹いたのは、たけしさんの落語観である。

「コメディアンは鬼瓦権造等のキャラクターを扮装して演じるが、落語家はひとりで着物だけで様々なキャラクター(与太郎や、花魁や、大家さんや、武張った侍など)を演じる、だから今、落語を勉強している」

これは面白い。扮装なしで出演者はたけしさんだけですべてのキャラ(10人くらい)を演じる映画、つくってくれませんか。
 
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