<高度消費社会の上層部がハマる自己啓発>スピリチュアルや自己啓発は「世界の嫌なもの」から目を背けるだけ


加藤有希子[埼玉大准教授/芸術学・芸術史]

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「スピリチュアル」「自己啓発」。こういう営みに得もいわれぬ違和感を抱いたことは、誰もが一度はあるのではないか。電車のサンマーク出版の広告に囲まれて、なんとなく病理に近い雰囲気を感じる、倫理的にやましい感じがする・・・。

実は筆者もかつてはこの手のものが大好きだったのだが、惹かれはするものの、かねてから強い違和感を覚えていた。筆者はこの違和感を解析する本を上梓した。

「カラーセラピーと高度消費社会の信仰:ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か?」(サンガ2015.10.1)

スピリチュアル、自己啓発では、「自分探し」を本懐とする。しかし、哲学者・鷲田清一(京都市立芸術大学理事長・学長)の言葉を借りれば、「私」とは、名前がなくなってしまえば崩壊してしまうくらいのはかない存在だ。

だから私探しに夢中になればなるほど、無個性で生理的な自己像に耽溺してしまう。健康になりたい、金持ちになりたい、幸せになりたい・・・。こんな自分探しに未来はあるのだろうか?

そしてしばしば指摘されることだが、比較的高学歴な人ほどスピリチュアルや自己啓発にはまりやすいといわれている。「思いは必ず実現する」「助けは必ずやってくる」・・・。そう思えるのは、恵まれた環境で生きているからこそである。

些末な職場の悩み、恋愛の悩み、命を奪わない持病の悩み。こうしたものは人生を揺るがすような「大きな物語」を生まない。だから消費社会の上澄みに生きる私たちは、スピリチュアルや自己啓発の「小さな物語」に救いを求める。

筆者は決して、スピリチュアルや自己啓発を頭ごなしに否定するつもりはない。世界の宗教が混迷を極める現在、「キッチュな」テイストの信仰は決してばかにできない。

しかし覚えておきたいのは、スピリチュアルや自己啓発は、社会の悪事や闇に直接手を下さなくていい「高度消費社会の上澄み」に生きる私たちだからこそ可能な信仰なのだ。本当の不幸にまみれている人は、決して「助けは必ずやってくる」とは思わない。

一方、高度消費社会の上層部の住人は、憎たらしいくらい良心的だ。自分と同じように、他人も幸せであれと願い、そしてそれが可能だと信じている。

それでも世界に目を向けてみれば、世界には解消できない貧困、飢餓、病気、差別、紛争などがあふれている。私たちは平穏に見えても、エゴの中に生き、そして死ぬのだから、こうした困難を見つめることに、私たちの文化の根幹はある。

世界の嫌なものから目を背けるスピリチュアルや自己啓発の信仰にハマる私たちは、本当は何も知らない子供のようにひどく残酷であるということを、いまいちど思い起こす必要があるだろう。

 

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加藤有希子

加藤有希子(かとう・ゆきこ)1976年神奈川県横浜市生まれ。1999年早稲田大学第一文学部美術史専修卒業。2001年慶應義塾大学大学院美学美術史分野修士課程修了。2004年よりフルブライト奨学金にてデューク大学美術史表象文化学科博士課程入学。2007年慶應義塾大学大学院美学美術史専攻博士課程単位取得満期退学。2010年デューク大学美術史表象文化学科博士課程(Ph.D.)修了。2011年度立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー(GCOE「生存学」創成拠点)。2012年4月より埼玉大学基盤教育研究センター准教授(芸術学・芸術史)。著書に『新印象派のプラグマティズム』(三元社2012)、キュビスムと色彩──もうひとつの物語」(前田富士男監修『色彩からみる近代美術』所収、三元社2013)などがある。