バナナマン・設楽統の『芸能界パスポート論』はスゴい!その鋭さに賛同する

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
2014年1月19日

 
バナナマン・設楽統の『芸能界パスポート論』に賛同する。
バナナマン・設楽統が、伊達に「2013年テレビ番組出演本数ランキング」で、昨年に引き続き1位を獲得したのではないことが良くわかる。実に的を射たアナロジー(類比)である。こういう喩えのうまさは頭の良さを示す。芸能界でのパスポートを得るには欠かせない資質でもある。分野は違うが同じ表現者としては先に言われて悔しい。
設楽の『芸能界パスポート論』はかいつまんでいうとこうだ。

  • 「生き残っていく芸能人には(誰から与えられるかには言及がないが)パスポートが与えられる。たけし、タモリ、さんまはパスポートを持っている。自分はまだ持っていない気がする」
  • 「おぎやはぎの小木は森山良子の娘と結婚したことで家族パスポートを持った」
  • 「下の芸人からいじられるかどうかがパスポートを持っているかどうかの判断基準のひとつだ」

といったものである。
では『芸能人パスポート』は誰から与えられるのか。かつては地方にあまたある劇場の(といっても掘っ立て小屋程度ではあるが)小屋主から与えられた。ラジオで大人気の落語家、古今亭志ん生も地方では顔が知られていない。東京で仕事にあぶれた手品師や浪曲家落語家が一座を組んで旅興行にでる。そのなかの売れない噺家に小屋主が耳打ちする「明日は、古今亭志ん生で演ってくれよ」かくして全国で5人の古今亭志ん生が、同時に存在することになる。少し良心のある小屋主は、美空ひはりや、島倉十代子を世に送り出した。「偽造パスポート」である。
いま、『芸能人パスポート』は、まだまだテレビを見ている人の残酷なほど冷徹な判断で与えられているだろうと考えられる。地道な活動をして支持を得ている芸能人はたくさんいるがテレビに出ていないだけで「あの人、最近見ない」といわれてパスポートは失効する。
また『芸能人パスポート』には、枠があり定員が決まっている。たとえば「ブサイクな女性枠」というのは有名だろう。かつて山田邦子が定員1人のこの枠を独占していた。その後、野沢直子の台頭があって地位を脅かされそうになったが、彼女はアメリカに移住してしまった。ついで久本雅美の台頭を受けて山田邦子はパスポートの保有権を渡さざるを得なくなった。今は、時代の流れにあわせて「ブサイクな女性枠」の定員が増えているので、この枠でパスポートを持っている人は群雄割拠である。
こう考えてみるとほかにも「デブ枠」「おばか枠」「東北弁枠」「キワもの枠」「外国人枠」「ご意見番枠」「大学教授枠」などがあることに思いがいたるであろう。今、流行(はやり)なのはおそらく定員2名の「オカマ枠」である。テレビには「関西弁枠」というのもかつては存在したが、今、その枠は撤廃されて、ビザなし渡航が可能になってしまったのは、東京の芸能界の国力が、衰えたからである。
『芸能人パスポート』の階級についても考えてみよう。
アメリカという国を芸能界にたとえれば最高クラスはグリーンカード(永住権)つきのパスポートである。婚姻という特例措置でこれを得たように思えたのは陣内友則であったが、入国カードの記入欄に「職業・夫婦」と書くのは潔くないと考えたのだろう、永住権つきのパスポートを手に入れるのはあきらめた。賢明なことである。元夫人は、職業欄に「国際派」と記入してパスポートを維持している。懸命なことである。
何回でも出入り自由の数次パスポートを持っているのは大橋巨泉。労働ビザつきのパスポートを持っている人が北野武や坂本龍一しかいないのは寂しいことだ。アメリカのパスポートをとる手続きを繰り返していたが亡命してしまった人の顔も、おもい浮かぶ。東…。これは手続きの過酷さ煩雑さに耐え切れなくなってアメリカで行き詰ったからである。
アメリカの国法を侵してパスポートを取り上げられた人もいる。メキシコやキューバからパスポートなしで越境してきた人もたくさんいて、これらの人は日々ビクビクして暮らさなければならないが、アメリカという国の自由と、とんでもない豊かさを手に入れられる可能性には抗いがたい。アメリカンドリームという輝きはやや色あせたものの、その魅力は、才能のなさを忘れさせる程度には輝いている。
アメリカは今、TPPなどグローバリゼイションという名のアメリカナイゼイションで世界中を多い尽くそうとしているが、世界全部が芸能界になってしまうことに僕は大きな声を上げて反対したい。