<部活に休養日?>教育の方針を全て決める文科省とそれを追認する大手メディアは時代遅れ[茂木健一郎]

社会・メディア

茂木健一郎[脳科学者]
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中学や高校の部活に「休養日をつくる」という案が文科省によってつくられている、という報道があった。このようなニュースに接する度に、私の中に、たくさんの????が飛ぶ。
なぜ、文科省という「中央」で決めた案が、全国の学校に一律に適用されるのか? それでは、そもそも教育のやり方に関する自由市場が機能しない。国のやり方が金太郎飴のように全国で再現されるだけの話である。
トランプ大学で話題になっているが、アメリカには、そもそも大学の「認可」という概念がない。大学は、民間で勝手につくるだけで、ただ大学同士が、お互いの単位を認め合うかという相互認証の仕組みがあるだけの話である。
大学の「設置基準」を国が定め、その設置基準を満たしたものを「大学」と認定するという日本のやり方は、初等中等教育から続く、教育の「標準化」の思想にもとづいているが、そのことで、教育のイノベーションが起こりにくい風土をつくっている。
【参考】<東工大入学式で学長が英語スピーチ>日本人ばかりの状況で英語を使うことに意味はあるのか?
文科省が教育のやり方、箸の上げ下ろしまで決め、教科書の内容を「検定」し、大学入試のあり方も決めるという方向性は、決して唯一の道ではない。しかし、日本のメディアは、そのような「そもそも論」のメタ認知を持つことが、きわめて不得意なように見える。
新聞が一面で「中高校の部活、休養日案」「文科省、来年度にも指針」というような見出しを打つこと自体が、教育の方針は文科省が定め、全国に通達するものであるという前提認識を強めることになる。しかし、その前提自体が、もはや怪しいのではないか。
「デジタル教科書を文科省が認める」「プログラム教育を」とかいう前に、すでに教育現場では勝手にやっているところがある。教科書検定とか、そのような時代遅れの教育観は、もはや一部では機能していない。市場はすでに走り始めている。それを認識できないのは文科省と大手メディアだけだろう。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 
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