[茂木健一郎]<クリスマスの奇跡>一年が終わるにあたって人は自分の人生を振り返る

社会・メディア

茂木健一郎[脳科学者]
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漫画「ちびまる子ちゃん」で、クリスマスのプレンゼントは? と聞かれて「うちは仏教だからなし」みたいに答えたエピソードがあったような気がするのだけれども、沖縄では、「うちは祖先崇拝だからなし」みたいに言うと聞いたことがある。
クリスマスで、子どもたちの夢が叶うプレンゼントが、朝に靴下やツリーの下に置かれている、ということをさらに普遍化すると、クリスマスは、人生の中で密かに望んでいたこと、夢見ていたことが叶うという「奇跡」の時であるという認識になる。
この、「クリスマスの奇跡」は、しかし、それを望んでいると自分が気づかないような願望について起こるのであって、本人にとっても意外であり、サプライズなのである。さらに言えば、その成就は、その人の本性に基づいたものでなければならない。
ディケンズの『クリスマス・キャロル』は、守銭奴スクルージが、忘れていた少年の頃の自分や、本来の姿を、精霊たちによって見せつけられて、人の心を取り戻す、という話であるが、このようにクリスマスの奇跡は、その人の本来への回帰、というモティーフを持つのである。
クリスマスは、元々はキリスト生誕を祝うお祭りだが、以上のような「本来の自分への回帰」というかたちでの奇跡は、12月も押し迫り、一つの年が終わろうとしているクリスマスの時期と無関係ではないように思う。一年が終わるにあたって、人は自分の人生を振り返る。
振り返る中で、自分自身や、自分と他人の関係など、さまざまなことをありのままに見ることができる。年末が押し迫った中での自己省察が、「クリスマスの奇跡」の本質だろう。
そうしてみると、それはキリスト教という文脈を超えて、案外人間にとって普遍的な意味があるように感じる。
 
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