<指原莉乃のMC限界説>指原よりもフワちゃんの意見が正しい理由

エンタメ・芸能

宮室信洋(メディア評論家)

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指原莉乃が、自身のMCについて、限界を語ったことが話題を呼んでいる。この話題は、そのまま指原の発言を引き取り、指原のMCについての限界を語る記事も多い。しかし発言された番組『さしフワご相談ナイト』(フジテレビ系列)をみれば、共演者のフワちゃんが、重要な発言を多くしていることに気づくはずだ。特に重要なのが、フットボールアワー後藤の影響を受けて、指原がMCの制約を受けているという発言である。

フワちゃんは、フット後藤が芸人論を持っており、指原がそれに影響されているために、芸人に遠慮してしまうと指摘。それに対し指原は、「後藤さんに洗脳されているの」と肯定している。フワちゃんは、具体的には、指原がチョコレートプラネットに坂上忍のものまねのネタ振りを偉そうにできなくなってしまっているとした。それに対し指原は、「私は絶対にやりたくないの、それを」と答えている。フワちゃんは、「後藤さんの思想がさっしーに全部伝染して、芸人さんに遠慮するのよさっしーが。後藤さんがどSすぎて」と説明。それに対し、指原は「ホントにそう」と強く同調する。

最終的にフワちゃんは、「ただ、テレビの前の人は絶対にそんなこと思わないのに、変な思考を後藤さんが植え付けてから、さっしーがものまね芸人に話振れなくて困ってるんです。後藤さん、話、聞いてあげてくださいよ。」と叫ぶ。指原もそれに対し、「後藤さん信者すぎて。芸人さんがすごい人と思いすぎて。さすがに後藤さんもお前が振るなよと全くいってこないけど。後藤さんがすごいってのが頭にありすぎて。……後藤さんが私の中のGOD(笑)。ゴッドなの。」と説明する。

以上のやり取りから、指原はフット後藤から何かしらの影響を受け、芸人に遠慮してしまうものと理解できそうだ。フワちゃんのたとえはなかなか絶妙で、チョコプラのような人気芸人にものまね芸を振るのは、確かに芸人の先輩しか許されなさそうな感がある。とはいえ、『ゼロイチ』(日本テレビ系列)のような指原MC番組に、チョコプラや、チョコプラでなくても芸人が出た場合は、指原が芸人に定番のフリをスムーズにできないようでは問題だろう。

また、それならば、定番のフリを持っていない芸人とならばうまく対応できるのではないかとも思えるが、定番のフリ以外にも遠慮する部分があるのかもしれない。実際に、指原の活動は、後藤と接してから変わった面があるのではないかとも思われる。 指原が、フット後藤と深く接するようになった当時の変化を振り返ってみよう。じつは、指原と後藤の接点が非常に大きかった時期に、後藤自身が指原の変化を語っていたことがあるのだ。2018年4月18日の『AKB48のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系列)では、指原の他に、秋元康氏とフット後藤が出演している。

<近年の指原莉乃>

この回で後藤は、指原に対し、「どこかでやめたろかな思ってるやろ」「そういうところもよかったりすんのかなって思うけど」「だからこそ、もう(どうなっても)ええわ。言うたれ。みたいな。でなんかこういろいろ話をするみたいな」と評価しながら続けて、「でもね、こなれてくるんですよ」と、指原のよい点と、近年の指原に対する物足りなさが、秋元氏と共に語られていたのだ。

「最初は僕の一挙手一投足をみながら、横で僕が何振ってくるかわかれへんから、ずっと気を張って、パンと来たときに、ギリギリのことをいうてダーンてなるんですけど。最近僕がだいたいこういう傾向で来るやろなていうので、答を2つ用意してどっちかをいうみたいな。ちょっとこう慣れてくるんで。ある程度でね、終わらせる。確かにさっきいうてたような80点なんですけど、俺はちょっと前の失敗してもいうたれみたいな20点が好きやってん」。このように秋元氏とともに、優秀にこなす力を備えるとともに引っかかりを失っていくというような、近年の指原の特徴が語られた。

[参考]斜陽化の坂道を転げ落ちているテレビに未来はあるか?

上手にこなすような特徴は、当のフット後藤や、中堅やベテランの、特には吉本興業に所属する芸人にもみられるものだろう。ベテランになれば安定の答えを「探す」スキルが身につき、安定した番組を作り上げる需要に応えることができるものと思われる。しかしその中でも、一部の大御所の芸人は、新しいものを「つくり」上げようと模索しているからこそ、大御所芸人でいられる部分もあるだろう。たとえば、秋元氏がよく口にすることも、「予定調和を壊すこと」である。

安定した答えを「探す」のではなく、新しく「つくり」上げようとする意欲の違いは、やはりモチベーションやどれだけバラエティ番組を楽しめるかにあるだろう。芸人でもないのにそれを維持するのは難しいことと思われる。また指原は、もともと著書の『逆転力』で示した「すごく偉い人にはフランクに、ちょっと偉い人には丁寧に」というような大御所とのコミュニケーション能力がウリだった。しかし自分がMCになれば、フワちゃんのいうフット後藤による「芸人論」も手伝って、頑張っている芸人と「偉そうに」あるいは「フランクに」やり取りすることが難しくなってしまっているのかもしれない。

以上の通り、指原はフット後藤に様々に影響を受けることで、変わっていった部分があるように思われる。1つは、「こなす」能力を身につけたこと。吉本興業の中堅芸人は、「チームプレーの笑い」で、笑いの「こなし方」を互いに認めさせ合いながら、番組を成立させるスキルに長けている。しかし、当のフット後藤自体が、指原の変化に不満を抱いてもいたのだ。またもう1つに、フワちゃんのいうように、フット後藤の芸人論の影響で、指原が芸人に対し遠慮してしまうところがあるのかもしれない。そして何より、自身がお笑い芸人でもないがゆえに、これらを克服し、もっと上を目指そうとするモチベーションが働かないのも根本的な原因だろう。

よってフワちゃんが、 「無理じゃないよ。あんた自分の力を過小評価しすぎ」「絶対、あんたのそれは断固として拒否し続けるし、絶対に、今の段階ですごくできるって思ってるから、これからも続けてほしいけど、新たな道を考えてるっていうなら、またもう1つのキャラ変ではあるんだなとは、思いましたね。(笑)」指原「締められた(笑)」フワちゃん「じゃあ続いては……続いてのテーマに参りましょう」。と、やり取りしているフワちゃんの意見は、正しいといえるだろう。指原の限界は能力の限界ではなく、身についてしまったあり方や考え方、意欲の問題にほかならない。これらを克服するのもまた難しいのは確かなのだが。

<『さしフワご相談ナイト』の可能性>

以上のように、まさにフワちゃんが指摘する通り、指原は、1人でMCができたはずなのに、さまざまの要因によって、自身が作り上げてしまった大きな壁にぶつかっているように 思われる。ただし、この話題が話された『さしフワご相談ナイト』では、ここ数年なかなかみることができていなかった指原の姿がみられているのではないだろうか。

まず、いつからか全くみせることがなくなっていた指原の賢い部分をみせることができているだろう。指原も『ワイドナショー』(フジテレビ系列)に出ていた初期の頃は、十分な賢さと、また思い切りのよい意見を主張することができていたのだ。また、フワちゃんは芸人だとしても特殊な芸人であり、指原と仲良しなので遠慮する部分はなさそうだ。

同時にフワちゃんも、放送の中で、キャラ変化の話題について指原と相談しているように、『さしフワご相談ナイト』では、フワちゃんの賢い面もみせることができている。先ほど引用したフワちゃんのセリフからも分かるように、実はふわちゃんは落ち着いた賢いトークができるようだ。また『さしフワご相談ナイト』自体、フワちゃんの企画によって成り立っている。指原もフワちゃんも、子供の頃からインターネットと接していた世代だからか、内容ある理知的なトークによる面白さを理解しているようだ。

経済が右肩上がりの時代と違い、現代は様々な社会的変化に対応せねばならず、楽しければいいという時代ではなくなっている。インターネットによる情報化とともに、エンターテインメントにも「何かためになった」というような情報性が求められる。知的な面白さや情報バラエティが求められている現代において、指原というメジャーなタレントとフワちゃんというインターネットの親和的なタレントが、予定調和的な笑いに拘束されず、おもしろさを追求できる本音のガールズトークバラエティは、まさに時宜にかなったものなのだ。

『さしフワご相談ナイト』は、2人の関係性も安定しており、ビートたけしをはじめとするかつて大御所芸人が、ラジオで常に話し相手を設けていたように、指原の新たな一面を見せることができる仕掛けの番組である。『さしフワご相談ナイト』はフワちゃんが全面的にプロデュースしており、放送内でもいっていたように予定調和を嫌うフワちゃんが、指原とフワちゃんMC2人の新たな一面で勝負可能。自身も番組で相談していた通り、キャラ変の自由が自分だけではどうにもならない状況のフワちゃんにとっても、光明を見出せる番組だ。

彼女らのいうように理知性を持った女子2人がズバズバと質の高いトークやお悩み相談を繰り広げていき、テレビに新しい希望をもたらす可能性を秘める、マツコ・デラックス、有吉弘行コンビを越えるポテンシャルを持った番組となるだろう。行き詰まり感のあるテレビ業界で、指原がまた新しい一面を見せ、一発逆転で天下をとる可能性もあるのかもしれない。なぜ指原がフワちゃんを芸能界でブレイクさせたのか不可思議なところもあったが、結果的に、指原自身を飛躍させてくれる種を、意図せずして蒔くことができていたということになるのか。運命的な強運となるのか、期待したいものだ。

 

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