<学士の格差>いわゆる「普通の大学」は淘汰されるべき?
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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2016年10月17日付け日本経済新聞夕刊「就活のリアル」というコーナーで雇用ジャーナリストの海老原嗣生氏が次のような報告を行っている。以下に要約の上、引用する。
*欧米だと新卒一括採用という仕組みは一般的ではない。ただ、その意味は日本では正確に理解されていない。
*そもそも、欧米では、新卒採用自体が広くは浸透していない。採用とは、基本的に、空いたポジションを公募し、翌日からそれができそうな人を雇う。つまり、中途採用が普通である。
*欧州の学生は、社会人と伍して採用されるために、ブラック同様のインターンを低賃金で1年にもわたり経験して、何とか手に職をつける。そうした努力を怠る若者たちは職にあぶれ、失業者となる。
*世の中には(欧米、日本含めと言う意味だと考えられる)、既卒も新卒も関係なく、未経験者を大量に「いつでも」採用している国などはそもそもない。
*ただし、欧米にも例外的に新卒採用を行っている。ただそれは、人材がいつでも不足するエンジニアを除けば、あとは超難関校を卒業した一部エリートについての話だ。
*それがどれくらい狭き門か。アメリカの場合、フォーチュン500に入るような超大手企業で、その採用数は年間、10~20人ほどだ。よく知られているアメリカの難関校なら、ハーバード、プリンストン、イェール、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォードなど、10校程度である。
*これらは、日本の六大学レベルかより遙かに上のレベルの大学である。と勘違いしそうだが、それは悪い冗談だ。ここに挙げた5校合わせても、卒業生は7000人にも満たない。かたや、日本の私学の二雄の学年定員は、慶応大学一校で7000人弱、早稲田は1万人に迫る。
*大学生が日本の3倍もいるアメリカの中で、早慶1校よりも数が少ない精鋭たちが目指すのがアメリカの、新卒採用である。
文科省によれば、いわゆる先進国の中で、日本の大学進学率は51%で、21位。(2010年)アメリカは71%、韓国は68%、1位のオーストラリアは96%であり、文科省は進学率をさらに上げなければならないとの主張である。しかし、それは各国の大学の性格や構成、状況を無視した省益狙いのみが目立つ暴論である。
【参考】<MITでも学費の無駄>堀江貴文は今18歳だったら大学なんかいかないそうです(https://mediagong.jp/?p=18397)
まず、日本では職業に直接結びつく専門職大学が充実していない。イメージとして専門高校で職業訓練を経た生徒が、その経歴をさらに充実させるべく進学するような大学である。ただし、日大芸術学部映画学科を卒業しても映画監督の道が必ず開けるものではなし、人生を捨てる覚悟をしなくても専門的職業スキルが身につく大学でなければならない。
筆者には一校もそういう大学が思いつかないが、あるのか。もちろん、防衛省所管の防衛大学校などは別である。さらに、大学教育をすべて職業に結びつけるのは間違いだという考えもある。筆者もそう思う。人文科学を教える「普通の大学」も必要だ。
ただしこれは本当に「普通の大学」なのか。
日本全国4年制の大学を卒業すれば「学士」の称号をもらえる。だが、基本的には同じ能力を身につけるはずの「学士」に大きな差があるのは、それこそ、日本国民なら皆、知っている。旧帝大の名門「学士」と、受ければ誰でも合格できるFランク大学「学士」では、学士の価値に大きな差がある確率は高いだろう。
日本にはモラトリアムを与えるだけの「普通の大学」が多すぎるのだ。多くの人がこの「普通の大学」をめざし、奨学金を借り、その返済に苦しむことになる。モラトリアムを目指す学生に給付型奨学金を渡すのは税金の無駄遣いである。合格者を出さない法科大学院が淘汰されていったように、この「普通の大学」が淘汰されていくシステムを文科省は導入すべきである。
人文科学は決してなくしてはならない、これからのイノベーションは人文科学と自然科学の学際的な研究から生まれるからだ。ただし、人文科学の大学教育の門戸はもともと狭めるべきである。
さて、最後に海老原氏の報告に戻る。
*欧州の学生は、社会人と伍して採用されるために、ブラック同様のインターンを低賃金で1年にもわたり経験して、何とか手に職をつける。
と言うが、これを日本は真似してはいけない。日本の独自性のためにも。
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