<「聞きたいコト」のない番組はつまらない>数千万円の砥石(といし)はいったい誰が買うのか?

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

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「質問したいこともない」のに人と話し始めるのは、よほど親しいか、営業トークである。普通、話をするのは聞きたいことがある時であろう。

テレビ番組でも同じことが言える。知りたいことがあったり、この先どうなるか気になることがあると見続けるものだが、質問が生まれるような内容でなければ見続けたりしない。特にノンフィクションの場合は「質問がない番組作り」は悲惨である。
いきなり説明が始まっても「知りたくもないこと」だったら、説明が始まった瞬間にチャンネルは変えられてしまう。関心を抱くということは質問が生まれると同じ意味だろう。質問があるからその説明を聞くのだ。なぜなんだろう、どうなるんだろう、いくらなんだろう・・・質問が生まれるから関心が出てくる。
かつて「砥石(といし)」の取材をしたことがある。
取材は、非常に高いものがあるという情報から始まった。なるほど「砥石」を扱う金物屋に聞きに行くと、人工の砥石は安いが、天然の砥石には高いものがあるという。数十万円はするということだった。
浅草に砥石の専門店がある。そこには破格の値段の砥石があった。百万円台の砥石は多数ある。本当に高いものは店頭には置いていない。聞いてみると値段は言わない。家一軒と同じ値段だという言い方だった。
ここで番組作りは止まってしまった。砥石を調べるのは非常に面白い。だが、なぜ砥石なのか? 砥石などという一般の人の関心のないものの取材を重ねても、果たして誰が見るのか? 砥石に関心が届くためには、もっと、いくつもの取材が必要なのではないか?
いくつかの試行錯誤があったが、「高級品」というテーマで取材をすることになった。高級品を作る人、高級品を買う人、さまざまな人を取材した。その中にはシャガールやモネ、モディリアーニを買った昭和の豪傑もいた。
ただ、これだけでは砥石には結びつかない。砥石店に聞きに行く理由も見つからない。そこで、「高級ふぐ店」を取材した。おいしい高級ふぐは薄い。刃物の切れ味に秘密があるに違いない、という流れにした。人形町にある「ふぐ店」に行くと、たくさんの包丁がずらっと並んでいる。これを全部使い分けるという。しかし、腕利きの板前は「切れ味の差は刃物で決まるのではなく、砥石によって決まる」と教えてくれた。
良い砥石屋が浅草にあると知っていた。これで繋がった。質問が生まれてくる。なぜ砥石が大事なのか? それほど高い砥石があるのか?
しかし、浅草の砥石屋が特別高いというわけではなかった。もっと高い砥石が京都で売られていた。訪ねていくと億を越える値段だという。なぜ、それほど高いのか? 産地を教えてくれた。鞍馬だった。天然の砥石には「粗砥」「併せ砥」「仕上げ砥」とあるという。この「仕上げ砥」がめったに採れない。硬く粒子が細かく、均一、そして一枚板で大きな石がなかなかないという。
かつては賑わっていただろう坑道で年配の工夫が教えてくれた。「もうそんな砥石は取れない」と。
そんな高級な砥石を、いったいどんな人が買うのか?
東京に研ぎ師がいた。一流の砥石を使うのは一流の刃物でなければならないという。研ぎ師が一流の砥石を持っている人を教えてくれた。広告関係の仕事をしている人だった。数千万円の砥石だった。布に包まれた砥石を見ていると、この砥石は一度も使われたことがないのでは? という疑問がわいてくる。もう骨董品である。
この砥石で「研ぐ」とどうなるのか? どんな刃物を研ぐのだろうか? そんな撮影をしたいと思い聞いてみた。「誰かにこの砥石で研いでもらっても良いでしょうか?」
一流の研ぎ師が一緒だったため、この依頼に砥石のオーナーは快く貸してくれた。
研ぎ師は、これを使える職人がいるという。その方は山梨県にいた。宮大工だった。宮大工は「鉋(かんな)」を研ぐという。こんな高級な砥石が必要になる道具はあまりないという。鉋はその数少ない刃物のひとつだ。鉋は広い幅を一度に均一に削れなくてはいけないという。そのために大鉋から小さな鉋までたくさんの種類がある。
いよいよ「研ぎ」が始まる。研ぎ始めてしばらくすると鉋が止まる。もうこれ以上進まないという状態になる。手を離しても鉋は砥石の上に斜めに立ったまま倒れない。研ぎ師が言う。「水をくれてやってください」。水をたらすと鉋が砥石から外れた。鉋と砥石の間に空気が全くなくなり鉋が砥石に吸い付いてしまったのだ。
この鉋を使うとどうなるのか。その切れ味は? 宮大工はこの鉋で桧の柱を削った。まず、鉋に今研いだ刃を入れる。すると、今度はもっと小さな鉋を取り出す。この小さな鉋で今研いだ刃を入れた鉋の台を調節し始める。鉋の台を削るのだ。湿気によってもバランスが変わっていくという。これは一緒に行った研ぎ師が教えてくれた。
10メートルもある桧の角材を一息で削っていく。力は入れていない。鉋屑がどんどん繋がっていく。一枚の紙のように削れて行く。そして最後まで削りきる。本当に薄い。その薄さは100分の一ミリだという。透かすと鉋屑の向こう側が見える。屑とはとても言えない。10メートル繋がっているふんわりした薄い紙だ。
見事としか言いようがなかった。
質問が沸いてくれば、仕事の半分以上は終わりかもしれない。後は沸いてくる質問をそのまま取材するだけだ。(高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー])
 
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