<映画「ジュピターズ・ムーン」>空中浮遊ができたら何をする?を考える映画

映画・舞台・音楽

保科省吾[コラムニスト]

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映画「ジュピターズ・ムーン」のあらすじはこうだ。

父とともに祖国を逃れハンガリーを目指すシリア人難民少年アリアンは、国境を越えようとしたところをハンガリーの国境警備隊ラズロに銃撃される。瀕死の重傷を負い、難民キャンプで働く医師シュテルンのもとへ運び込まれるたったアリアンは、シュテルンの目の前で空中を浮遊する特異能力を見せる。違法に難民を逃して金を稼いでいたシュテルンはアリアンの能力を金儲けに利用しようと思いつく・・・。

背景に描かれるのは、難民に対して過酷な待遇を強いるハンガリーの国情や、ハンガリー国民のキリスト教に対する考えなどが描かれる。アリアンは聖書に描かれる天使なのか、それとも・・・。映画はそれには答えを出さない。

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さて、アリアンの空中浮遊の能力だが、スーパーマンみたいに自由自在ではない。とにかく意志によって浮くのである。20回建てのビルの高さくらいまでは浮くのである。限られた空間ではあるが、任意の場所の重力を操り、天地を逆さまにしたり出来るのである。

映画はひたすら暗く、救いがない。あるとしたら、浮遊能力である。浮遊能力を救いとするために周囲を暗く描く必要があったのだろうか。見る者はこの能力に希望をつなぐしかない。

そう考えると本作「ジュピターズ・ムーン」は、今現在あなたの立場で、あなたが住んでいる場所で、あなたの国で、あなたが生きている時間で、あなたが生きている時空で「もし、空中浮遊ができたら何を成すか」を考えさせる映画であるように思う。

しかし、このように考え詰めてみると「意外とない」ことに気づかされる。スーパーマンになるわけではないのだから厄介だ。筆者の軽薄をさらしてしまえば、「浮遊した状態の空中でオシッコをする」というくらいしか考いつかなかった。

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