<「アメトーーク」の差別表現>笑いの本質的は「対象を蹴落として自分がいい気持ちになる」こと?
高橋維新[コラムニスト]
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2019年4月18日に放映されたアメトーークの最後に、同年2月14日に放映された「高校中退芸人」の回において「西成高校及び西成地区について事実と異なる発言や差別的表現があった」ことを理由に謝罪がされていました。
具体的にどういった内容が問題になったかは番組の公式サイトでも述べられています。長くはないので、以下に全てを引用します。
(以下、引用)
2月14日放送の「高校中退芸人」で、大阪府立西成高校および西成地区についての過去のエピソードを紹介した中に、事実と異なる内容や差別的な表現がありました。
西成高校について、「椅子が机と繋がっている理由は投げられないようにするため」「窓がガラス素材でない理由は、ガラスだと割る人が多いから」「トイレットペーパーを職員室に取りに行く理由は、盗まれるから」という内容を放送しましたが、これらの事柄を不良生徒の対策だとしたことについては番組側の確認が足りず事実と異なっていました。また「当時9クラスあった学年が卒業時には5クラスになった」としたことも誤った説明でした。そして、西成地区については「行かない方がいい地域」といった差別的な表現がありました。
こうした表現によって大阪府立西成高校と西成地区が問題のある学校や地域であるとの印象を与えてしまい、在学中の生徒、卒業生、保護者、学校関係者並びに西成地区の住民の皆様に多大なるご迷惑と不快の念をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。また、視聴者の皆様にも誤った印象を与える結果になりましたことをお詫びいたします。
(引用ここまで)
読んでいただければ分かるとおり、番組側が謝罪の理由としているのは「事実誤認及び差別的表現により、西成高校の関係者や西成地区の住民に不快の念を与えたこと」であります。ただこの内容だけでは、実際に「西成高校の関係者や西成地区の住民」といった直接のステークホルダーから抗議があったかどうかは明らかではありません。西成という地域の特殊性に鑑みて、大規模な抗議が為されないうちに先んじて謝罪をしてしまった可能性もあるでしょう。それほど、テレビで扱うにはセンスィティヴな話題なのです。
その点を措くとしても、今回の謝罪で言われているようにテレビが放映した笑いのコンテンツに「嘘」が混じっていること、またそのコンテンツにおける表現で傷つく人が出てくることはよくあることである。本稿は今回の謝罪問題を契機にこれについての私の考え方を示すものであります。
まず確認しておきたいですが、笑いをとるために嘘をつくこと自体が悪い、というわけではないはずです。上沼恵美子は「大坂城に住んでいる」というホラを吹きますし、エピソードトークの内容を盛ることは普通に行われていることです。嘘をつくという行為はそれ自体が笑いの素である「ズレ」を生み出すものであるため、笑いの世界ではむしろ武器として利用していくべきものです。そもそもコントでお芝居をするときは、自分の本心ではないことをさも本心であるかのように言うではありませんか。演技は、全てが嘘なのです。問題になるのは、嘘をつくことそれ自体ではありません。その嘘が、他人が大きく傷つけるような内容だったことが問題になるのです。
ただ、他人が大きく傷つけるような嘘もそれ自体が禁止されるわけではありません。松本はよく「浜田はヤクザだ」と言って笑いをとっています。通常この手の嘘を放映する場合、「この人が言っていることは嘘ですよ」と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出をします。この演出は嘘つき(=ボケ)へのツッコミであると共に、嘘をついた人をおかしいと糾弾することで傷つけられた人をフォローする役割を果たします。
例えば、以下のようなものですね。
*「嘘をつくな!」というツッコミを入れる
*「※そんな事実はありません」というテロップを入れる
ただもちろんこういった演出も丁寧にやりすぎるとゴテゴテして「笑い」という主題がボケてくるので、スッキリと済ませたいものではあります。そのため、嘘の内容そのものが荒唐無稽で視聴者もそれを聞くだけですぐに嘘だと分かる、というようなものの場合、こういった演出を一切入れないこともあります。「浜田はゴリラと人間のハーフ」というような松本の発言は、一例です。
今回のアメトーークの場合、スタッフ側としては話の内容そのものが荒唐無稽であるがゆえに視聴者にも「嘘だ」と分かってもらえると思って敢えて大した演出をしなかったのかもしれません。ただ、特に何も考えずに無配慮なOAをした可能性もあり、OAを見ただけでは断定ができません。いずれにせよ、「(事実誤認とされた問題の発言が)嘘であると分かってもらえない」と考えた視聴者がいた(あるいは、番組側が「いる」と考えた)からこそ、謝罪にまで発展してしまったのでしょう。確かに、視聴者はOAを見て嘘だと断じてくれるような分かりのいい人ばかりではないので、作り手と視聴者のこの認識のズレが今回のような問題の根本にあるのは間違いありません。
ただ本稿で勧奨している「『この人が言っていることは嘘ですよ』と視聴者にもはっきりと分かってもらえるような演出」というのは、あくまで今回のような問題の発生をできる限り事前に予防するための対策であって、笑いたい人と傷つきたくない人との利害対立を緩和する調整弁のようなものでしかありません。私個人は他人を傷つけるような形で笑いをとることが(現時点では)いいとも悪いとも言うつもりもありませんし、言いたくはありません。
【参考】「世界のナベアツ」落語家・桂三度がテレビタレント再起への野望?
笑いというものは、多かれ少なかれ、本質的に対象を蹴落とすことで自分がいい気持ちになる感情・現象なので、その感情の発露によって傷つく他人が出てくることは(とても根源的な部分で)不可避であります。少人数での会話や陰口で笑いが起こる時は傷つくであろう他人への配慮は通常為されません。ただ、テレビのような大多数の目に触れるメディアでは、同じようにはできません。笑われることによって傷つく人もそのメディアに触れる(そして、実際に傷つく)可能性が大いにあるので、何らかの配慮が必要です。
笑いのコンテンツとしてテレビを含めたメディアに表出しているのは、笑いたい人と傷つく人との間で何とかかんとか調整の利くごく一部の内容だけなのです。だから、テレビで笑いを扱うという営為はどこまでいっても綱渡りになってしまうのです。作り手が攻め過ぎた結果、受け手(視聴者)から反発を食らうというのは日常茶飯事です。今回は、この調整がうまくいかずに摩擦が生じた(あるいは、摩擦の発生を番組側が予期した)ということでしょう。テレビが笑いを取り扱う以上は、この「調整」のプロセスとそれを適切に行うためのバランス感覚は不可欠なものです。
今回のアメトーークの問題に関して言えば、(ここまで述べてきたように)笑いという表現において本質的に摩擦の発生は避けられないものである以上、メディアにも芸能事務所にも(そしてスポンサーにも)、実際に「事実誤認」とされる発言をした芸人の未来をこの問題だけで閉ざすような対応はしないでいただきたいです。今回の問題は笑いをメディアで取り扱う以上不可避的に生じるとても根深いもので、今後も笑いのコンテンツを提供し続ける以上コンスタントに発生する問題です。
前述のとおり、コンテンツの作り手であるテレビ局は、この問題に今後も向き合い続けなければいけません。発言者の芸人だけに責任を負わせるトカゲのしっぽ切り的な対応で解決できる問題ではないのです。何より、最終的な責任は確実にあの発言を容認して(カットせずに)放映したテレビ局の側にあるので、一芸人のせいにして逃げ回るのはとてもカッコ悪いです。
そういう対応をしたら演者たちも「今後テレビ局は何かがあっても守ってくれないんだ」と思って萎縮してしまうので、ますますテレビがつまらなくなってしまいます。少なくとも私個人は、これ以上テレビにつまらなくなって欲しくありません。
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