<バカなディレクターは理解できない>テレビ番組の最後に「スタッフ・スーパー」が流れる理由
高橋秀樹[放送作家]
2014年7月18日
テレビ番組の最後に「その番組を作った人は誰か」ということを表示する 「スタッフ・スーパー」が流れる。
AD時代は名前など出してもらえない。 筆者の場合は、おそらく、作家になったときにはじめて名前が出たという記憶があるが、そのときは「俺の名前が出てるぞ」と、大きな声で叫びたい気もちだった。 足元から震えが頭のてっぺんに登ってくる感じのうれしさだった。
ところで、このスタッフ・スーパーはなぜ流れるのか。それは「この番組の責任は我々が持ってますよ」と世の中に宣言するためだ。 番組の面白さも、情報の正しさも、全て我々が責任を持っています。 苦情があったら全部受け付けます。 というのが、スタッフ・スーパーだ。
だからADの名前は出ない。 命じられて動いているADには責任がないからだ。
このスタッフ・スーパーを、読み取れないくらい高速で流すバカが居る。 理由はスタッフ・スーパーを流し始めると視聴率が落ちるからというものだ。 だが、これは、責任者は誰かわからなくしているということであって、やってはならない責任逃れだ。
報道の番組は、通常「製作著作」として、テレビ局の名前しか出さない。ある報道の番組に参加したときに、一番偉い製作プロデュサーに直訴した。「番組をつくっているみんなの名前をだそうよ」と。分かっている製作プロデュサーだった。
「責任は俺たちだということですね」
レアケースだった。報道の番組なのに、スタッフの名前が流れた。
生放送だから、時間がなくて流れそうもない時でも、流すように努力した。
バカディレクターが、手を焼いて放り出しそうになった企画をなんとかまとめあげたAD がいたが、その時はADの名前も出した。
で、番組は大成功した。
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