九州豪雨とコロナ「命をまもってください」
山口道宏[ジャーナリスト、星槎大学教授、日本ペンクラブ会員]
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今は「コロナ禍」だから、豪雨も地震も台風もない、と誰が言えようか。
「命をまもってください」と、気象予報官が叫んだ。
九州の豪雨災害が深刻だ。なかでも河川氾濫、土砂崩れなど熊本県では多数の住民が犠牲になった。7月4日早朝、記録的な豪雨は球磨川の12ケ所で氾濫、避難は間に合わなかったという。この豪雨は、九州のみならず全国各地に及んだ(九州4件で65人、静岡、愛媛で各1人が死亡している。7.11現在)
ところで熊本・球磨村の特別養護老人ホームでは「14名が心肺停止」と早々報じられると、のちに14名全員が死亡と伝えられた。水に浸かりながらも、職員は必死に、体の不自由な高齢の入所者をオンブすると階上へ。車いすの高齢者は腰まで泥水につかりも動きが取れない。考えても現場は阿鼻叫喚の、地獄図だ。
振り替えれば、東日本大震災でも同様なことが起きていた。
ひとたび自然災害が起きると、いつだって「災害弱者」がうまれる。被害は社会的に、肉体的に、経済的に <弱いひと> へと集中している。高齢者施設は河川敷や山間部に多い。建設費用と土地の関係から「立地」はそうなる傾向にある。単に「川が望めて」「空気がおいしい」ではない。そこは「漂流」や「生き埋め」といった危険とも隣り合わせだ。
前稿で「地震とコロナ」について触れた。今回の豪雨が地震だったら!! 台風だったら!! と置き換えたらどうか。だれもが背筋に冷たいものが走る。繰り返すが、医療も介護もライフラインだ。電気、ガス、水道と並んで人が生きていくための <命綱> だ。即ち、自然災害への対策も感染症の対策も一緒で、もはや「想定外」は許されない。予防そのものが不十分となれば明らかな人災となってかえってくる。高齢者施設の多くには税金が投入されている。予見可能性への行政の不作為、となれば許認可に遡りその責任は免れない。
コロナの「第二派」が心配されている。
「第一派」で知った、我が国政治の <もろさ> への検証と対策が急がれる。
「医療崩壊」「介護崩壊」も解消などないままの「自粛解除」だ。「10万円」「マスク」の比ではない。補正予算の三分の一に相当する「予備費(?)」10兆円を決めて国会は6月で閉会。10兆円はコロナに関する政府の <使い勝手> といい、なんとリーマンショック時の2倍、東日本大震災の3倍の勘定だ。この機におよんでの所業か。とある国の軍隊の幹部が、戦火の中を逃げまどう民衆を見捨て金目の物を持ち去るさまに似ていないか。
さらに列島全体に感染やまぬこのさなかに、胡散臭い「GOTO キャンペーン」に1.7兆円を投入とか。これだって税金だ。それこそだ。現実に困っている医療や介護現場に、事業継続や雇用維持に、すぐさま先の10兆円とあわせて、直接に還元すればいいだけの話だ。「必要なところに必要なものを」から、十分なヒト、モノ、カネを配するが、いまもむかしも政治の基本理念だ。
いまだって < 命綱 > が危ないのだ。 国会を開け! 国会議員に「自粛」などあり得ない。
「命をまもってください」
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