<1万時間の法則>プロとプロ未満の違いは1万時間継続の有無
茂木健一郎[脳科学者]
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<1万時間の法則>
マルコム・グラッドウェル氏が自著の中で紹介している「1万時間の法則」というのがある。どんな分野でも、だいたい1万時間程度継続してそれに取り組んだ人は、その分野のエキスパートになるという経験則である。
ある音楽学校で、コンサートを開けるプロレベルと、レッスンを与えるレベルの人などを比較すると、それまでどれくらい練習してきたかに有意の差があって、コンサートのプロレベルは1万時間だった、というのが「1万時間の法則」のひとつの根拠としてしばしば挙げられる。
「1万時間」という時間に絶対的な意味があるわけではなく、それはひとつの目安である。また、分野やそのひとの取組の質によっても違うけれども、ひとつの事実として、熟達や創造性の発揮が長い時間を必要とするということは知っておく価値があるだろう。
1万時間は、粗い計算をすれば1日3時間を10年続けなければならないから、かなりの継続である。しかし、人が通常「才能」などと片付けやすい差異が、実際には継続時間に起因しているという認識は目を開くきっかけ(eye-opener)だろう。
グラッドウェル氏は、ビートルズがハンブルク時代に酒場のオーナーの方針により延々と演奏させられたこと、ビル・ゲイツ氏が高校時代に当時としては例外的に長いプログラム経験を持つことができたことを、「1万時間の法則」の傍証として挙げている。
【参考】継続させる秘訣は「常に今、ここ」に没入すること(https://mediagong.jp/?p=22008)
世間では「才能」は何の苦労もなしにできるという意味で捉えられがちだが、それは一種の「自然発生」説で、事実ではない。才能を云々するよりも、長い継続にかける方が、「1万時間の法則」としては正しい。
<Aから途中を飛ばしてZに行く方法はない>
「1万時間の法則」を、文字通り1万時間とは限らないが、ある特定のことに長い期間にわたって取り組む、という意味でとらえると、そこには脳の神経回路の発達という視点から見て重要なポイントがある。
何かに取り組む(例えばバイオリンを弾いたり、絵を描いたり、文章を綴ったりすること)は、つまり、脳の神経回路を、ある特定の感覚ー運動の連合の文脈に置くということである。そのことによって学習が生じ、報酬系も活性化する。
何かに取り組んでいる時に、その取り組みに固有の感覚情報入力とその処理、決断と実行、運動制御の一連の文脈が生じることで、次第にその文脈に即した神経回路網の発達が見られるようになる。特に大事なのは、その文脈の中の報酬構造である。
たとえばバイオリンで言えば、トリルの運指がうまくいくとか、レガートがなめらかに弾けるとか、あるいは全体の曲想をふかんできる・・・といったさまざまなレベルの課題と、それを達成した時の報酬構造があるから、それによって特定の神経回路の構造が形成される。
さらに重要なのは、Aという神経構造ができて始めてBに到れる、という一連の段階があるということである。Aができて始めてBになる、それからCになるというように、一連の構造がくりこまれて、継続的な発展を遂げるようになる。これは、長期にわたる取り組みがあって初めて可能になる。
AからBに至り、Bを前提にしてCとなり、Cを前提としてDになる・・・このようにして初めてZに行けるわけであって、Aから途中を飛ばしてZに行く方法はない。だからこそ長期の取り組みが必要であり、1万時間の法則が成立する。
(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)
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