<実録TGC:第3回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

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メディアゴン編集部

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新しい投資? 新しいアートビジネス?それとも・・・?今、何かと話題のNFT。そんなNFTに東京ガールズコレクション創業者である大浜史太郎氏(Jake Ohama)が「NFTデジタルアートムーブメント」プロジェクトを掲げ、オランダ、シンガポール、英国から本格参入する。ファッション業界で成功を納めた大浜史太郎氏だけに興味は尽きない。ファッションからNFTに参入する意図と狙いは何か。本稿では、東京ガールズコレクションからコロナ禍を経て、NFTへと至る経緯を、メディアゴン編集部が、大浜史太郎氏に直接にインタビューした。東京ガールズコレクションの知られざる歴史についても詳細に語ってもらった貴重なインタビューをぜひお読みください。

(全て大浜史太郎氏に直接取材をし、全7回を予定)

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[第2回https://mediagong.jp/?p=33336から続く]

<神戸コレクションの成功とジレンマ>

神戸コレクションの実現に向けて、ランウェイを歩くモデルの確保も重要だ。そこで、神戸コレクション実行委員会では、当時、神戸ファッション全面に打ち出していた雑誌JJ(光文社)へと挨拶をすることになり、そこに大浜史太郎氏も同伴することになった。雑誌JJの発行元である光文社へ向かうと、出てきたのは当時の名物編集長のS氏である。服装や性格は派手目で、眼光は鋭く、なかなか癖のあるファッション業界に強い影響力を持つ敏腕編集長は、好意的に協力してくれることになったという。

2002年春、girlswalker.comでは当時300万人以上の女性会員がおり、毎週「神戸コレクション」の告知を何度も大々的に配信した。その甲斐もあって、周囲の心配とは裏腹に、第1回の神戸コレクションは約8000名以上の集客に成功し、ファッションショーとしては大盛況に終わった。

もちろん、大浜氏念願の新商品アイテムも提供してもらうことができ、ファッションショーと連動させながらの販売で、瞬く間に売り上げは増加していった。girlswalkerは、もはや在庫処理装置ではなくなったのだ。インターネット企業が初めて「認められた」瞬間である。この現実に、大浜氏を始め、社員一同が歓喜した。

想像以上の大盛況に終わった第1回の神戸コレクション。当時のJJ誌の人気モデルが全員集合して観客から大歓声を浴びる様子を見て、ショーに関わった企業すべてが成功の安堵に浸っていた。ところがその直後に、今後の開催を揺るがす事件が起きた。ショーを観賞し終わったJJのS編集長が大浜氏の前につかつかやってきてこう言い放ったというのだ。

「大浜君。僕はね、やっぱり君たちのようなインターネットサイトは大っ嫌いなんだ」

インターネットの携帯サイトとファッションショーを組み合わせた成功に酔いしれていた大浜氏は当時を振り返り、次のように語った。

「あの時は、S編集長のあまりの正直過ぎる言葉には苦笑いしてしまいました。もしかして、僕たちみたいなネット企業が、格式あるファッション業界にズカズカと入り込むようなことを良しとしなかったのではないかな・・・。雑誌JJと言えば、当時の若い女性にとってはNo.1の雑誌、バイブルと言われていた雑誌です。敏腕編集長であるだけに、ネット時代の到来に危機感を感じ、いわば嫉妬をされてしまったのではないかと感じたぐらいです。ただし、理由はどうであれ、業界No.1のJJから嫌われてしまったことには、本当に頭を抱えてしまいました。」(大浜氏)

なお、S編集長とは、その後も特にトラブルはなく、数年後に2人で和やかに会食したと大浜氏は述懐している。

雑誌JJからの協力の可能性が難しくなったということが新たな不安材料となり、大浜氏を悩ませることになる。

[参考]<実録TGC:第2回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

第1回の神戸コレクション特別共催は大成功のうちに幕を閉じたが、それはすなわち、第2回も開催することを意味していた。もちろん、第1回以上の成功が期待されている。しかし、JJに嫌われてしまった以上、神戸ファッションとJJという親和性に代わる第2回の神戸コレクションがコラボレーションする女性ファッション誌を探さねばならなくなった。そこで白羽の矢が立ったのは雑誌ViVi(講談社)である。

雑誌ViViと神戸コレクションの提携案が出された当初、CanCam(小学館)やRay(主婦の友社)はファッションのテイストが違うので協力出来ないのは仕方ないとして、大浜氏としては「えっ? よりによって最もテイストの異なるViVi?」と思ったという。一方で、当時のViViは、JJに劣らず、むしろそれ以上に売れていた人気女性ファッション誌であった。浜崎あゆみの全盛期で表紙を飾ることも多く、安定的に50〜60万部を売り上げていた。目先の親和性はさておき、コラボレーション相手としては申し分ない。

さっそく大浜氏は、実行委員らと講談社のViVi編集部へ向かった。出てきたのは当時の編集長・T氏である。JJ編集長と対照的で、落ち着いたスーツを着た、とても穏やかな大人の編集長だった。丁寧にT編集長と挨拶を交わした大浜氏は、「この人とならショーを安定して一緒に出来る」と確信したという。

そこからは大浜氏も機動性を高めた。

当時のViViの路線に合わせて、girlswalkerでの取り扱いブランドでもLAカジュアル系を強化していった。その一環として大浜氏が手がけたのが「LA Celeb」の買収である。「LA Celeb」はViViで毎月特集されていた人気サイトである。これを大浜氏個人で買収し、girlswalkerへ人気アイテム商品を卸すことで、売上をさらに増加させていったのだ。もちろん、ViViとの親和性も高まり、当然、それは神戸コレクションの成功へとも繋げることができる。

そのようにしてViViとの親和性と連携を深めることで、第2回から、神戸コレクションはしばらく講談社ViViとの間接的なコラボレーションを進めることになる。神戸系ブランドは関西エレガンスのJJ系ブランド風なのに、ランウェイを歩くモデルはViVi系のモデルという・・・なんだかちぐはぐ感があったが、これはこれで面白いと思ったという。出演するモデルたちも、いつもは異なるテイストの服を着て楽しそうだった。このような目新しさは、神戸コレクションの盛り上がりへと繋がってゆく。

こうして第2回、第3回と順調に神戸コレクションは認知度と来場者数を拡大していった。大浜氏は自分たちが引き続きメインの冠スポンサーを務めながら、積極的にgirlswalkerでも数百万人もの会員数へメールマガジンを配信して毎日放送に大きな貢献をした。さらに大浜氏がよく知るさまざまな協賛企業を紹介したりするなど全面的に協力しを惜しまなかった。

ところが、このような蜜月は長くは続かないのが世の常である。

イベントが拡大するにつれて、だんだん両者の間に溝もできていく。当初のように、円滑にコミニケーションも取れなくなっていった。その結果、冠スポンサーである大浜氏をさしおいて、毎日放送(MBS)側が独自の判断でキャスティングやブランドの選考をし始めるようになる。もちろん、毎日放送は主催者ポジションなのだから、それは仕方のない事だ。しかし、共催者だと思っていた大浜氏からしてみれば、自分のセンスやリスクによってショーを成功させたという自負もあった。

そして、このジレンマこそ、東京ガールズコレクション(TGC)の実現へとつながってゆく。(第4回へ続く)

*編集部註:girlswalker.comおよび当時の運営会社は売却されており、現在のgirlswalker.comと大浜氏は一切関係ありません。

 

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