「仕事を持ち、結婚し、夫と子供の両方を養う女性」と「結婚して、仕事を辞めて、子育てをする男性」
保科省吾[コラムニスト]
***
「誰かが言わねば」というウェブサイトがある。先日、そこに興味深い論考が掲載されたので、要約しながら引用したいと思う。
<以下、要約引用>
結婚しない人が増えた原因のひとつが見過ごされている。現在の日本で「結婚」に関して、女性が持つ選択肢は以下である。
- 仕事を持ち、結婚しない
- 仕事を持ち、結婚するが、子供を持たない
- 仕事を持ち、結婚し仕事を持つ夫と二人で子供を養い、二人で子育てを行う
- 結婚して、仕事を辞めて、子育てをする
それに対して、男性が持つ選択肢は以下である。
- 仕事を持ち、結婚しない
- 仕事を持ち、結婚するが、子供を持たない
- 仕事を持ち、結婚し仕事を持つ妻と二人で子供を養い、二人で子育てを行う
- 仕事を持ち、結婚し、妻と子供の両方を養う
これには、選択肢が一つずつ欠けていることに気づく。女性の側に「仕事を持ち結婚し夫と子供の両方を養う」、男性の側に「結婚して仕事を辞めて子育てをする」という選択肢が抜けている。この選択肢が広く受け入れられていない原因は男性に対する「性差別」である。
<要約引用おわり>
以上のような文章だ。さて、上記を読んで何を感じるだろうか?
もちろん、「それは出来ないからだ」という反論が意味を成さないことは容易にわかるでしょう。「女性に参政権をあげないのは、それは出来ないからだ」という理屈が成り立たないことと同じです。マイノリティ(少数派)側が声を上げて、マジョリティ(多数派)側が後退すると、必ずマジョリティ(多数派)側が巻き返しに出ます。その繰り返しです。繰り返しがあって落ち着きを見せてゆく、その機能はまだ社会にはありそうです。
ところで、「富裕層」対「貧困層」の対立もありますが、マジョリティ(多数派)が貧困層で、マイノリティ(少数派)側が富裕層であることは肝に銘じておく必要があります。民主主義が機能しているうちは「マジョリティ(多数派)がルールを決める権利を持っているというルール」になっているからです。
ところで、ニーチェはそれを次のように表現しています。
「奴隷が決めた道徳で世の中は成り立っている」
決してこれは奴隷制度を認めている表現ではないことは、よくご存知でしょう。筆者は奴隷がいるから成り立っている民主主義を強く否定します。
【あわせて読みたい】