<テレビはただのカタログ>リアルで稼げない芸能人は消える時代

社会・メディア

メディアゴン編集部
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民放テレビ局は高騰する芸能人のギャラで自縄自縛になっている。
なぜ自らの首を絞めているかといえば、ギャラを上げてしまったのは他ならぬテレビ局自身だからである。では、なぜギャラがつり上がったかというと、テレビ局が企画先行で番組を考えず、手っ取り早く視聴率が取れ、スポンサーにも気に入られる大物ばかりを起用したからである。(ただし、それで視聴率が取れたがどうか結果は違う)
広告費のパイは限られているから、現状では、増収が期待できないテレビ局は制作費を絞らなければならない。
まず、下請けなど文句を言ってこない弱いところから始めた制作費削減も限界に来た。そこで聖域であった芸能人に手を付けた。ギャラを下げることを呑んだ芸能人もいたが、多くの高額ギャラ芸能人は切られた。福留功男、徳光和夫、みのもんた、タモリ・・・。
今後、テレビ局の環境はもっと厳しくなる。BSがあり、CSがあり、インターネット放送をしなければならず、4K放送、8K放送といった新しい環境への対応にも金がかかる。
「受信料という宝の山」を持っているNHK以外は、制作費をさらに絞らなければならない。制作費が安い番組が尊ばれる時代はもうやって来ている。
【参考】<テレビ局に見る雇用格差>人件費1200万円の正社員ADと360万円の非正規AD
安価に作られた番組が面白くない訳ではないが、工夫は必要だ。しかしながら、工夫はそう簡単に思いつかないので、多くの場合で必然的に番組の質は落ちてくる。テレビは、きっと、カタログのような放送になってしまうのではないか。
今後はスマホ視聴がメインになるとも言われることが多いが、あんな小さな画面での放送では、やはり限界があるのではないか。こちらもカタログレベルになってしまう気がする。
そうなると、どうなってしまうのか?
テレビや、スマホはおそらく芸能人にとってのカタログとなる。多くの芸能人はそこから得られる出演ギャラだけでは暮らしてゆくことはできなくなるはずだ。
一方で、芸能人にとって、カタログに出られる価値は大きい。そこで存在を認識して貰って、気に入ってもらえれば、リアルの公演や舞台に来てもらえば良いし、商品を買ってもらえれば良いのだ。映画でもよい。
つまり、放送はあくまでもカタログであり、「広告」だ。そして、芸能人の実際の収益は「リアル」で稼ぐ。そんな時代がやってきているはずだ。リアルで稼ぐことが出来ない芸能人は消える、というわけだ。
落語家に転身した桂三度や月亭方正は、それを見据えているのかも知れない。
 
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