「年収103万円」の罠
山口道宏[ジャーナリスト]
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昨年後半の国会は「年収103万円の壁」一色だった。
国民の血税から政党助成金を受け、数々の特権を有する国会議員。公にも1人当たり4000万超の歳費(給与)+調査研究広報滞在費(旧文通費)+事務費を手にする者が「パート年収103万円を引き上げろ」と、なんら躊躇なく語る愚かな国会が続いた。
国民は、国民民主党が提案する「年収103万円の壁」の真の狙いは労働力確保の施策、と確認しなくてはいけない。「タマキVS財務省」など演出なのだ。
そもそも消費税をはじめとする既存の税制度や健康保険など社会保険や社会保障の仕組みに関する抜本的な改革を不問に「年収103万円」を講釈するなど笑止千万。その中身たるや「(扶養のもとで)もっともっと働きたいでしょ」と、配偶者控除の範囲拡大だから「年収103万円」とは、すなわち現行の税制度、社会保険制度のつまみ喰いにすぎない。
我が国の国民負担率(所得に対する租税や社会保険料等の合計割合)は47.5%(2022年度財務省)、だから可処分所得はぐっと縮まる。税金や年金、医療や介護保険などの割合は約半分と多く、実際に給料や年金として手にするやいなや「公的負担」として払っている(年金者は手にする前に差っ引かれている)。そんな悪代官のたくらみは「令和の五公五民」(江戸時代の年貢・負担率)とよばれる。
なにより「夫(妻)が妻(夫)を扶養」の前提は変わらない。この国の社会保障は家族(世帯)単位だ。各々の家計のやり繰り次第と、結果として国庫負担は逃げの論理が背景にある。
しかしだ。家族単位それ自体が単身化時代 (全世帯数は5431万世帯、うちひとり世帯は1785万世帯で全世帯の32.9%、夫婦+未婚の子、夫婦のみ世帯がつづく。2022.6現在)を迎え、いよいよ「家族があって」の前提が相応しくない組み立てになっている。「103万円」問題とは「人手不足」を補うに、外国人か、高齢者か、配偶者か、学生か、そのミックス型かという国策にある。よって提案者は人材確保の政府の別動隊、という位置づけだ。
かつて安部元首相の下、女性の社会進出、働き方への鼓舞に対して、待機児童のママが「働きたくても働けない。日本、死ね」と叫んだのは記憶に新しい。いつだって国策のご都合で納税する側が適度に「生かされていること」になる。そして今般の「103万円」だ。対象者は約110万人。シングルマザーも、老夫婦も、8050世帯も、単身者も、自営も全く無縁のハナシだった。
政治の駆け引きに裏金事件を棚上げで「103万円」に特化するのが、いまさらながら国会の芝居劇だとわかる。
メディアは、「103万円」の罠に対して本質論からメスを!
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