<堺雅人は日野倫太郎をどう演じるのか>「Dr.倫太郎」が描くのは日本に30人しかいない絶滅危惧種となった精神分析家
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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本当に久しぶりに、テレビドラマを見る気になった。水曜夜10時、堺雅人主演の日本テレビ「Dr.倫太郎」である。なぜ見る気になったかは後ほど述べる。
俳優・堺雅人を筆者はずっと見てきた。テレビではなく映画である。「ジャージの二人」(2008)、「南極料理人」(2009)、「クヒオ大佐」(2009)。皆、すばらしい出来であった。
特に結婚詐欺師を演じた「「クヒオ大佐」は、役に堺雅人が憑依していた。俳優・堺雅人は役に自分を寄せていくタイプの役者なのだろう。ただし、堺の台詞回しは独特だから、どの役をやっても堺になってしまう。自分に役を引き寄せる感じもすると言うことは名優の証であると思う。
著書も読んだ。「文・堺雅人」(2009・産経新聞出版)、「ぼく、牧水! 歌人に学ぶ『まろび』の美学」(2010・角川書店)。後者は、若山牧水の研究家である高校の恩師も登場する短歌の本である。堺雅人は文才もある。
しかし、ここまで堺雅人を見てきて、筆者は間違った。堺雅人をバラエティ番組の司会に使いたいと思ったのである。とんでもなかった。TBSの「半沢直樹」で大化けし、フジテレビ「リーガル・ハイ」でクリーンヒットを放つ。筆者はこれらのテレビドラマをほとんど見ていない。
そして、満を持しての「Dr.倫太郎」である。あまりテレビドラマを見ない筆者が、このドラマを見る気になったのは堺雅人が精神科医役を演るからだ。精神科医は筆者のもう一つの専門に近い仕事である。堺は一体どんな心理療法を使う精神科医を演じるのだろう。原案として「清心海」(精神科医のもじり、覆面著者であろう)著「セラピューティック・ラブ」が、クレジットされる。
堺雅人の演じる精神科医「日野倫太郎」はアメリカで修行してきた精神分析家であった。ジーグムント・フロイトの創始になる精神分析学は、アンナ・フロイト、メラニー・クライン、ジャック・ラカン、C・G・ユング、ヴィルヘルム・ライヒ、オットー・ランク、アルフレッド・アドラーなどを経て現在に連なる。岸田秀(1933〜)や河合隼雄(1928〜2007)、元フォーククルセダーズの北山修(1946〜)、神田橋條治(1937〜)などが有名である。
臨床、つまり、患者を治療する有効性について精神分析学はは科学的証拠がないとして疑問が呈されている。精神分析は宗教あるいは文学に近いとしている精神分析家も居る。その技法は懺悔を聞く牧師の姿と極めて似ている。精神分析家としてよりは、岸田秀氏は文筆家として、河合隼雄氏は文化庁長官として有名である。
河合隼雄はその政治力によって臨床心理士の国家資格化に尽力したユング派の精神分析家で、その牙城である京都大学では教育学部長を務めた。河合氏は精神分析の出来る臨床心理士が、精神科医の助手のような扱われ方をするのが我慢ならなかったと言われている。修業年限を医者と同じ修士までの6年間にして対等な立場にしようとした。だが、これには反対も多く、学会は3つに「分裂した。今でも臨床心理士は国家資格ではない。
日本では精神分析に保険はきかない。これは、医療と認めていないと言うことである。
現在、日本には精神分析を生業、つまり精神分析を患者に施して生活費すべてを稼いでいる人は30人ほどだと言われている。むしろ本を書きコメンテーターをやっているという人も目立つ。「倫太郎」もまた、テレビでコメンテーターをやる有名人という設定である。
精神分析はアメリカの富裕層をクライエント(患者のことだが「顧客」というニュアンスが入る)とすることで発展してきた。精神分析は受ける回数も時間も長いため費用が高額で、アメリカの富裕層にとっては精神分析を受けられることがステイタスであった。
大西洋航路などでは船医として精神分析家が乗り込み、豪華な長くて退屈な船旅の間、お金持ちたちに精神分析を施して慰みを提供した。倫太郎もクライエントとして失言ばかりする無能な総理を担いで頭の痛い内閣官房長官(石橋蓮司)の出張カウンセリングをしている。
さて、カウンセリングの要諦は「傾聴」と「共感」であると言われる。両方とも大事だが、まずは「傾聴」が最も大切。
「傾聴」はとにかく、相手の話を聞くこと。指示や話の流れを止める質問はしてはならないが、倫太郎は官房長官に意見を言う。このあたりはドラマの嘘だ。「傾聴」が上手くいけばクライエントと医者の間に「共感」が生まれる。これをラ・ポールというが、それが出来て初めて治療が始まる。
精神分析学では、自らも他の医師に精神分析(スーパービジョン)を受けることが義務づけられているが、おそらくドラマ上では倫太郎が信頼する先輩精神科医(遠藤憲一)にスーパービジョンを受けたという設定なのだろう。
倫太郎はある日、勤務する慧南大学病院の理事長(小日向文世)に誘われて、新橋の料亭を訪れる。そこで出会ったのが芸者夢乃(蒼井優)である。夢乃の本名は明良(あきら)。
夢乃は若い男と遊ぶ母親(高畑淳子)に寄生されており、いつも金をせびられている。おそらく、アダルトチルドレン、母に束縛される娘と言った流行の病態が描かれるのだろう。本名が明良(あきら)と言うのも気になる。
性同一性障害、あるいは、明確に区別できる複数の人格が同一人に存在し、それらの複数の人格が交代で本人の行動を支配する解離性人格障害が描かれるのかもしれない。夢乃は倫太郎が好きだが、明良(あきら)は倫太郎を知らない。
倫太郎と夢乃は、医者と患者の関係になるのだが、ここで夢乃は、倫太郎に信頼と好意を持つようになり(これを転移-transferenceと言う)倫太郎も夢乃を好きになる(これを逆転移-counter transferenceと言う)。ユング先生は転移と逆転移を治療に生かせと教えているのだが…。
倫太郎が中学時代に自殺をしようとした過去も描かれている。原因は母らしいのだが、その秘密はわからない。倫太郎は会社で周囲の嫉妬からいじめにあい、飛び降り自殺をする直前のOL(ハリセンボン・近藤春菜が好演)を助けるのだが、倫太郎は自殺という行為に精神的外傷があるのかもしれない。
倫太郎と対立する宮川教授には長塚圭史。宮川教授は脳科学者で有り、薬を処方することでクライエントの快方を目指す。現在はこのタイプの精神科医が大多数である。
ドラマ中に何の脈絡もなく、倫太郎が使っているだろうと思われる心理療法の一つEDMRと言う言葉が出てくるが、これは何かの伏線なのだろうか。
EDMRは、いわば深呼吸と同じ、縛られた精神的な感覚を解き放つ方法。クライエント(患者)の目の前に立てたV字形の二本指をひらひらさせるという方法で、オカルティックな方法ではあるが、効果はあるのではないかといわれている。
他に、倫太郎の同僚外科医で、幼なじみの水島百合子役に、吉瀬美智子。蒼井優と、倫太郎を巡って三角関係になるのだろうなあという伏線がきちんと張ってある。
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