<日本代表がワールドカップ4位に>プロを目指す「知的障がい者サッカー」の未来と課題
横田雄紀[東京都自閉症協会/著述業]
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ワールドカップの熱狂と落胆が一段落した昨年2014年8月のブラジルで、「もうひとつのワールドカップ」と呼ばれる大会が開催されたことは、あまり知られていない。
「INAS知的障がい者サッカー世界選手権大会」だ。
IQ70~75以下の知的障がいを有するフットボーラーによる国際大会だ。第1回大会は1994年のオランダ。第3回大会からは「本家」のワールドカップ開催国で実施されるようになった。
日本代表チームは、その第3回日韓大会から参加している。その時の成績は16チーム中10位。4年後のドイツ大会(2006年)では16チーム中11位。
南アフリカ大会(2010年)では11チーム中10位と低空飛行が続いていたが、ブラジル大会でついに、本家大会の日本代表が予選3戦全敗を喫したのを後目に、1勝1敗1分けの成績で決勝トーナメントに進出し、歴代最高の4位に輝いた。
この躍進の背景には、代表チームを大会に送り込んだ日本知的障がい者サッカー連盟(JFFID)の取り組みがあった。
「今回の好成績は、2年前からブラジルを目標に、全国からスキルの高い選手を選抜し、5回にわたる代表合宿などを行うなど強化策に取り組んだ結果です。もちろんそうした強化策を実施するに当たってはたくさんの自治体、学校、企業、個人からご支援が欠かせませんでした。かくいうわれわれスタッフもほとんど手弁当で参加しているので、ボランティアみたいなものなんですが(笑)」(JFFID理事長 天野直紀氏)
「もうひとつのW杯」を主催しているのは国際知的障がい者スポーツ連盟INAS。設立は1986年。サッカー以外にも知的障がいのあるアスリートの陸上競技やバスケット、卓球などの国際大会を主催している(2011年にINAS-FID:International Sports Federation for Persons with Intellectual Disabilityより改称)。
障がい者が参加するスポーツ大会と言うとまずパラリンピックが思い出されるが、実は同大会には知的障がい者の参加はここ10年間ほど認められていなかった。
というのも2000年に行われたシドニーパラ五輪バスケットボール競技において、スペイン代表チームが知的障がいと偽って健常者を大量に出場させて金メダルを獲得した不正事件が発覚したためだ。以来、INAS-FID所属の競技団体はパラリンピックから排除されていたのだ。
その後INAS-FIDでは登録選手に対しWISC、WAIS、田中ビネーなどの知能検査結果や専門医による診断書など提出を求めるようになり、その不正撲滅への姿勢が評価され2012年のロンドンパラ五輪から一部競技で知的障がい者の出場が解禁されるようになった。
ただそうした変化はありながらも、知的障がい者サッカーがパラ五輪に採用される目途は立っていない。というのも、パラ五輪ではすでに5人制視覚障がい者サッカー(ブラインドサッカー)と7人制脳性麻痺者サッカー(CPサッカー)があるからだ。
障がい者によるサッカー団体は他にも聴覚障がい者サッカーや電動車いすサッカー、精神障がい者サッカーなどがあって、パラリンピックですべてのカテゴリーを実施するのはほとんど不可能なのだ。
一方で近年、知的障がい者のスポーツ大会あるいは団体として「スペシャルオリンピックス」の名前も耳にするようになった。しかし、こちらはINAS-FIDと同様に知的障がい者を対象にしているものの、設立の理念としてスポーツを楽しむこと、あるいはスポーツを通して社会参加をすることを目的としている。競技として勝利を目指すINAS-FID所属の各競技団体とはややモチベーションを異にしていて、JFFIDは参加していない。
「もちろん代表チームの強化には競技のすそ野を広げることが大切ですので、スペシャルに参加するサッカー団体と連携することも重要ですが、そこまでは手が回らないというのが実情です」(天野氏)
こうした状況の中で知的障がい者サッカー日本代表の強化策を継続していくのは容易ではない。事実、今回の日本代表にも大会終了後に引退の意向を口にする選手が複数名いる。特別支援学校(高校)のサッカー部から選抜されている代表選手には、地元の支援校卒業後にサッカーを続ける環境が整備されていないことが大きな要因だ。
そもそも地域での選手強化を担うはずの地方協会も、全都道府県にあるわけではない。地方協会があるのは、いわゆる福祉先進県ではなくサッカー人気が高い自治体なのだそうだ。地方協会はサッカー王国と呼ばれる自治体の特別支援校の教員が作ったサッカー部が母体になるケースがほとんどだからだ。そうした状況だから、熱心な教師が退職するとそのまま休眠状態になってしまう地方協会もあるそうだ。
日本代表チーム強化には地方組織を整備と競技者のすそ野拡大が喫緊の課題となっている。ブラジルでの4位獲得はこの状況の改善に大いに役立っている。
「まずマスメディアの取材が増えましたね。選手の一人はNHKの『アスリートの魂』でも取り上げられました。メディアに出れば、当事者や保護者の関心を引き、協力も得られやすくなりますからありがたいことです。それから今回の成績で日本パラリンピック委員会からの評価ランクを一つ上げることができましたので、その分多く助成金を配分していただけるようになります。うちのように財政基盤の弱い団体としてはとてもありがたい」(天野氏)
また、国体と同年に開催自治体で実施される全国障害者スポーツ大会で、知的障がい者サッカーが採用されていることも追い風になっている。開催県では何かしら採用競技への強化策を講じるのが通例だ。その際にJFFIDからコーチを派遣するなどして交流を図り、地方協会のない自治体にはその立ち上げを支援するというプランも企画されている。
さらに今回の好成績に加えて東京五輪パラ五輪開催も決定したことで、これまで疎遠だった日本サッカー協会(JFA)からJFFIDの地方大会などで協力を得られるようになった。人手が不足しているJFFIDにとって大会運営のノウハウが豊富なJFAのサポートは何よりの援軍となる。
ここにきて知的障がい者サッカーを巡る状況は徐々に歯車がかみ合い始めたようだ。
「もちろん次回のもうひとつのW杯に向けての強化も重要ですが、われわれにはもう一つ大きな目標があります。それはJFFID登録選手をプロにすること。簡単に言えばJリーガーにすること、です。ヨーロッパリーグには3部クラスにすでにプロ選手がいます。それは知的障がいのある選手がサッカーを続ける大きなモチベーションになります」(天野氏)
知的障がい者サッカーのこれからの発展に注目したい。
<取材後記>天野理事長はJFFIDに参加する以前は、単なるサッカーファンで、知的障がい者ともほとんど関わりを持ったことがなかったそうだ。それがある時、知的障がい者サッカーの記録映像を見る機会があり、彼らの懸命な姿に胸打たれて、JFFIDを手伝い始めて、とうとう理事長に就任するに至った。
今も、知的障がいに関しては門外漢だと断りながら、天野理事長は代表選手についてこんなことを話してくれた。
「代表選手には、合宿や遠征の際は集合場所まで独力で来ることを求めています。それに対して“無理です”と言うのは選手本人ではなく、親ごさんなんです。“独りで来れないなら代表から外す”と言うとビクビクしながら子どもを送り出す。でも選手は必ず指定された場所にたどり着きます。彼らはやればできるのです。限界を作っているのは親ごさんではないでしょうか? まずはチャレンジさせてみる。それが彼らの可能性を広げると思います」
障がい児の親である記者の耳にも痛いご指摘だ。
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